ブライトン&ホーヴ・アルビオンに所属する日本代表MF三笘薫がプレミアリーグで大活躍を見せている。

25歳のドリブラーは、川崎フロンターレのアカデミーからトップ昇格が内定しながら、筑波大学へ進学したことで知られる。

これまで数々の名選手を日本代表へ送り込んできた筑波。そこで今回は、東京教育大学を母体に発足して以降の蹴球部出身者で「最強の11人」を選んでみた。

田嶋幸三

1979年度卒

現役時代はFW。東京の世田谷区育ちながら高校は浦和南へ越境通学し、3年次にキャプテンとして高校サッカー選手権優勝に導いた。

筑波大学在学中に日本代表として7試合に出場。名門・古河電工へ加入したものの早くに指導者へ転身し、80年代にはケルン体育大学へ2年半留学していた。

現在は日本サッカー協会会長のほか、AFC選出のFIFA理事も務める。

風間八宏

1983年度卒

筑波大学蹴球部史上でも指折りの天才プレーヤー。

清水商業高校時代からその名を全国に轟かせ、大学時代に10代で日本代表デビュー。クラブレベルではマツダやサンフレッチェ広島で活躍し、ドイツ2部でもプレーした。

引退後はその尖った指導が話題となり、Jリーグの川崎フロンターレや名古屋グランパスを指揮。現在はセレッソ大阪でアカデミー技術委員長を務める。

長谷川健太

1987年度卒

高校時代、大榎克己、堀池巧とともに「清水東三羽烏」と称されたアタッカー。

筑波大学から日産自動車へ加入し主力として活躍。Jリーグ創設とともに地元の清水エスパルスへ移ると、日本代表で1993年に「ドーハの悲劇」を経験した(※写真の後列右から3人目)。

引退後は指導者として活躍。清水エスパルス、ガンバ大阪、FC東京でいずれもタイトルを獲得し、2022年から名古屋グランパスで指揮を執っている。

井原正巳

1989年度卒

筑波大学時代に日本代表へ招集され、すぐさま主力として定着。現役時代は「アジアの壁」の異名を取った。

日本が悲願の初出場を果たした1998年のフランスワールドカップでキャプテンを務め、全試合にフル出場。クラブでは日産自動車から横浜マリノス、横浜F・マリノス、晩年にはジュビロ磐田と浦和レッズでもプレーしている。

指導者としては主に柏レイソルでキャリアを積んでおり、2022シーズンもネルシーニョ監督が負傷離脱した際に1ヶ月ほど代行監督を務めた。