サッカー元日本代表MFの北澤豪が、プロ野球界のレジェンドである谷繁元信さんのYouTube「谷繁ベースボールチャンネル」に出演。

サッカー界と野球界の違いなどを語り合った。

もともとは野球少年で、“世界のホームラン王”である王貞治氏に憧れていたという北澤。

父親から英才教育を受け漠然とプロを意識していたというが、その父親の突然の方針転換によってサッカーをやらされることになったと明かした。

異文化交流となった二人の会話は、プロ選手のお金事情に。

北澤は中学生の頃から読売クラブ(後のヴェルディ川崎、現在の東京ヴェルディ)に所属していたが、当時すでにトップ選手だったラモス瑠偉らが同じエリアで練習をしており、給料を手渡しする場面も見ることができたのだという。

ラモスのようなトップ選手の封筒はぶ厚く、そうではない選手は薄かった。その残酷さがまだ若かった北澤にとって大きな刺激になったようだ。

一方の谷繁さんは「僕が入った時代はまだクレジットカードがない時代」と切り出し、当時のプロ野球界の事情を話した。

「先輩にご飯とか飲みに連れていってもらうとみんな現金を持って歩くんですよ。プロ選手って昔セカンドバッグを持ってるけど、現金が入ってる。いつも200万くらい入ってました、先輩方は」

プロ野球の選手といえば、古くはパンチパーマと金のネックレス、スーツ姿にセカンドバックを持ち歩くというのがステレオタイプなイメージだった。

また当時は年上の先輩が年下の後輩の飲食代まで支払うのが一般的であり、谷繁さんによればその現金を持参するためにセカンドバッグを携帯していたのだという。

これを聞いた北澤は、200万円という金額に驚愕。同時に「だから野球界の古き伝統としてのセカンドバッグがあるわけだ。お金の厚みが…」と納得すると、谷繁さんも「そうです。っていうふうに僕はいつも説明しています(笑)」と語っていた。

【関連記事】1位はメッシでも大谷同僚でもない!世界で最も金を稼ぐ最強スポーツ王10人

昭和のアイテムというイメージのあったセカンドバッグだが近年、再び流行の兆しも。セカンドバッグが成功者の証となる時代がまたやってくるだろうか。

【厳選Qoly】インドネシアの帰化候補「150人超」に対し…帰化して日本代表になった7名