アテネ五輪で感じたかすかな希望「アメリカ相手でもやれる」

――そしてワールドカップの翌年はアテネ五輪に出場されます。アメリカとは全く違う環境での試合だったと思いますが、どんな大会でしたか?

オリンピックはサッカーだけが行われるわけではないんですけど、女子サッカーは開会式の前から始まって、全ての競技で一番最初にスタートなんです(笑)。日本選手団の先陣を切って…という感じでした。

このアテネ五輪では、予選がとても盛り上がったんです。日本で開催されて、初めて3万人ものお客さんが国立競技場に来てくださって、14年間一度も勝てなかった北朝鮮に初めて勝ったんです。

3万人のファンが集まった国立競技場で北朝鮮を3-0で破り、五輪出場権を獲得した

しかもその試合でオリンピックへの出場を決めたということで、メディアのみなさんもたくさん取り上げてくださって。その影響もあって、本当に少しだけ「文化」になれた感じでした。

そのようなパワーを頂いてオリンピックに臨むことができましたね。サッカーだけではないエネルギーがとてもありました。

――その3-0で勝利した北朝鮮戦では大谷さんもゴールを決めましたね。個人としても一番いい時期だったと思います。

そうですね。ワールドカップを一度経験して、足りない自分を感じて、それからもう一度世界にチャレンジという気持ちで臨めました。このタイミングでオリンピックに出られたのは大きかったですね。

オリンピックは他の競技の選手とも応援し合うというか、支え合いながら戦っている感覚がありますね。サッカーでのワンチームではなく、スポーツでのワンチームになった感じで、すごく心強いです。支えてもらっている土台の違いを感じましたね。

――環境という面ではどうでしたか?

オリンピックは選手村があるので、食事面は助かりましたね。日本食もありましたし。いろいろな国の選手がみんな同じ食堂で食べるんですけど、そこでもある程度バランスよく選ぶことができるので、そこまで苦労はしませんでしたね。

私たちのときはまだシェフがつくことは当たり前ではなかったので、海外に行ったらそこで食べられるものを頑張って吸収するかという感じでした。

もともと日本食に頼ることができなかったので、できないことをむしろ楽しみましたね。ないからダメではなくて、そのなかで工夫をしていました。ふりかけとか醤油を持ってきたり。

――そういうところは昔の選手のほうがタフかもしれませんね。この大会では決勝トーナメントに進出して絶対王者アメリカと対戦しました。その印象はいかがでしたか?

アメリカ伝説のFWミア・ハムと澤穂希

その何年か前にアメリカ代表と日本代表の試合が日本で開催されたんです。そのときに全く相手にならない日本を見ていました。2003年のワールドカップのときも、キャンプでアメリカとトレーニングマッチをしたんです。そこでも差は歴然としていて、試合も負けました。

ただ、この大会では「やれる」という手応えも感じられました。アメリカはまさに「世界って遠いよね」という相手でしたが、ちょっと「もしかしたら…」という僅かな光が見えたところはありましたね。