「パスサッカーの基礎」は2007年女子W杯で生まれた

――そして時は2007年。今度は中国でのワールドカップでした。2011年の優勝メンバーもかなり入ってきて、佐々木則夫さん(2008~2016年なでしこジャパン監督)がコーチをされていましたね。

2007年W杯のアルゼンチン戦先発メンバー。上段が澤穂希、安藤梢、矢野喬子、永里優季、宮本ともみ、福元美穂。下段は大野忍、岩清水梓、加藤與惠、宮間あや、池田浩美

私はこの大会でピッチに立つことができなかったので、すごく複雑な思いもありましたね。

ただ、その2011年の大会に出場したメンバーは本当に優秀な選手たちだったので、「あの子たちにはかなわないな」というのもありました。もちろん「負けていられない」という自分もいて葛藤は大きかったんですけど、逆に言えばそれを経験したことは大きかったですね。

私はクラブに入った1年目からレギュラーでしたし、試合に出られないのは怪我をしている時くらい。プレーできないことがないまま、そこまでやってきていたんです。

2007年は、初めて「試合に出られないときに何をすればいいのか」を気付かされた大会でしたね。もしこれを経験しなければ、試合に出られない選手の気持ちは全く分からなかったと思いますし、指導者になった今に生きています。

この大会では阪口夢穂(2011年大会の優勝メンバー)も出場がゼロだったんです。でも「この子たちをいずれ世界で輝かせるためには、中堅やベテランの私たちが落ち込んでいる姿を見せるわけにはいかない」と。

「次は頼むよ」と後押しをする役割だったのかなと感じますね。

――もちろんそれが2011年の優勝に繋がるわけですが、この2007年のなでしこジャパンはどんなチームでしたか?

非常に可能性を感じるチームでしたね。それまでは本当にいっぱいいっぱいでやっていたんです。技術的にもそうですし、戦術的にもそうです。

ただ大橋浩司監督(2004~2008年)になってからは「ポゼッションサッカーというのはこれだ!」と。戦術的なトレーニングもかなり多くなったんです。

大橋浩司監督。現在はJFAコーチ(東海地区チーフ)

それまでは個人の力と、上田栄治監督(2002~2004年)がちょっとずつ作った守備の戦術で戦っていました。でも2004年は攻撃面で課題が多いところもありました。

ボールを持てる選手が多くなったというのもあって、そこで「ポゼッションサッカーをやろう」と。バルセロナの映像をいろいろな形で見せてもらって、参考にグラウンドで戦術トレーニングをする…というのをこのときに初めてやりました。

――今のいわゆるなでしこジャパンの戦い方のイメージは、ここからスタートしていたんですね。

ここからなんです。そして佐々木さんもここからの流れを引き継いでのスタイルだったと思います。

コーチ時代の佐々木さんは…監督になってからと全く同じですね(笑)。ノリさん!と気軽に話しやすいおじさんという感じです。

――岡田武史さんは監督になって選手との接し方が全く変わったと言っていましたが、佐々木さんは変化なしなんですね。

女子の指導をする男性の方って、シビアにやりすぎると合う合わないが出てきてしまうのかな…というのは感じますね。ガツンとやってついてくるかというと…。

みんなそれぞれ個性あるメンバーだったので、それぞれの考えも持っていますし、ノリさんはそれを尊重してくれるタイプでした。それが良かったのかもしれないですね。

もちろん、話を聞いても変えられない事情があることもあるんですけど(笑)、そこはうまくバランスを見てやってくれていました。

聞いてくれるだけでもみんな納得する部分はありますしね。ノリさんはコーチの役目もできますし、監督になったら選手のいい部分を尊重してくれていたので、それが本当にうまく繋がったんじゃないかなと感じます。

――このチームは2011年の主力になった選手が多かったですけれども。

そうですね、このあとの2008年の北京五輪でベスト4に行くことになるんですけど。この2007年のワールドカップで世界との差を縮めたという実感が生まれて、これは行けるんじゃないかという自信になったのかなと。だから北京五輪でベスト4にまで進むことができて、それがさらに自信になった。

それから4年が経って、2011年のワールドカップ優勝に繋がったんだと思います。