唯一の汚点「レッドブル・ガーナ」はなぜ失敗したのか

スポーツへの投資で成功を続けているレッドブル・グループであるが、唯一完全に失敗したといえるのが「レッドブル・ガーナ」である。

2008年にガーナの南東部にあるソガコペという街に作られたアカデミーは、アフリカに眠っているサッカーのタレントを発掘し、ヨーロッパの市場に乗せて利益を上げることを狙いに設立された。

レッドブル・ガーナ出身者のサミュエル・テテー。他にもギデオン・メンサーやサミュエル・オウスがここからガーナ代表まで上り詰めており、タレントは育っていた

チームは2009年に早くも2部リーグへと昇格するなど順調かと思われたが、2013年には3部へと降格。2014年8月にはクラブが閉鎖され、数年間でその活動を終えることになった。

なぜそのようなことになったのか?民俗学者のマーティン・カインズ氏による書籍「Red Bull Ghana」によれば、レッドブル・グループと地域社会の対立にあったそうだ。

その中で最も大きな問題は、アカデミーが建設された土地を巡る意見の相違であったとのこと。

レッドブル・ガーナが作られる前、その土地はオーストリアのサッカースクール「ラヴァンタール」が使っていたという。

ラヴァンタールは地域のコミュニティから寄付される形でこの土地を所有しており、それをレッドブルも受け継ぐことになった。

ただ、寄付ということはそれに準ずる社会的責任が伴う。レッドブルは地域に飲料水の供給を保証すること、そして地元から最低2名の選手をアカデミーに受け入れ、食事や教育を提供することが期待されていた。

ところが、レッドブルはこの地域による社会的期待に全く応えることがなかったとのこと。

ガーナでは地域の首長や長老が非常に強い権力を持っており、それによる人間的な繋がりによって伝統的な土地の管理や儀式が行われている。

しかし、ヨーロッパから来たレッドブルの白人従業員はそれらの文化を理解しておらず、地域コミュニティとの関係がうまく行かなかったという。

マーティン・カインズ氏がインタビューした現地の関係者によれば、地域住民はレッドブルの運営に失望し、自分たちとアカデミーの間の力の不均衡に不満を溜めていたそう。

またそれによって欧州から来たスタッフが地元との交流を避けるようになり、ヨーロッパの白人従業員と地元で雇われた黒人従業員の間で分裂が起こってしまったという。

「アパルトヘイト制度のようだ」とまで言われるほどの内部崩壊に至ったレッドブル・ガーナは、わずか5年という短い間で消滅を迎えることになった。

旧レッドブル・ガーナが使っていた場所は、かつてフェイエノールトの下部組織だった「ウエスト・フットボール・アカデミー(WAFA SC)」が受け継ぎ、1999年から現地で活動している強みを活かして運営されているという。

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もし大宮アルディージャにレッドブル・グループが経営参画するのであれば、このレッドブル・ガーナの失敗を繰り返すまいと挑んでくるだろう。

首都圏という立地、すでにサッカー専用スタジアムが存在する環境、さらにJ3降格でクラブの価値が落ちている状況となれば、レッドブルが手を出しやすいクラブであることは間違いない。あとは、地域住民やファン・サポーターとの関係性…と言えるだろうか。

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