「こんなチャンスはない」両親が背中を押す
愛知県一宮市出身の山之内は、兄の影響でサッカーを始めた。
「あまり覚えていませんが、小学生のころはやんちゃというか、常にふざけていましたね。当時は何も考えずに、楽しくサッカーをやっていました」
小学校低学年までは、先に習っていた空手に打ち込み、サッカーは週1回の練習だったという。
保育園年長のときに、全日本空手道選手権で見事に優勝。
いまでも空手で培った「目の前の相手に負けたくない」という闘争心が、一対一の局面が多いサイドバックでのプレーに生きている。

それでも、チームスポーツであるサッカーに強い魅力を感じていた山之内は、小学4年のときに愛知県江南市の町クラブFC DIVINE(ディバイン)に入団。本格的にプロサッカー選手を志すようになった。
現役時代にFC東京でプレーした経験を持つ青井健(たけし)氏が代表を務める同クラブは、近隣地域から元Jリーガーの指導を受けたい多くの小学生が集まり、山之内自身も「レベルが高かった」と感じていた。
同クラブでは、今年6月に日本代表デビューを飾ったデンマーク1部コペンハーゲンDF鈴木淳之介と同学年のチームメイトだった。
当時センターバックとしてプレーしていた山之内は、FC DIVINEではボランチを務めていた鈴木とポジションが近く、頻繁にピッチ内外でコミュニケーションを取る間柄だった。
現在も連絡を取り合う関係が続いており、鈴木が代表に初招集された際には「おめでとう!」とメッセージを送ったという。
今年10月に味の素スタジアムで行われた日本対ブラジル代表の試合をテレビ観戦していた山之内は、「素直にすごいなと思うし、(僕も)もっと頑張らないといけないなと。もう、手の届かないところに行っちゃいましたね…(笑)」と苦笑い。
日本代表で地位を確立しつつある幼馴染の活躍が刺激になっている。

日本代表としてブラジル戦に出場した鈴木。小学生のときに山之内と同級生のチームメイトだった(写真 Getty Images)
小学校卒業までFC DIVINEでプレーした山之内は、中学校入学を機に、JFAアカデミー福島U-15(WEST)に入団した。
JFAアカデミー福島は、日本サッカー協会(JFA)と福島県広野市と楢葉町、富岡町が連携して設立されたサッカー選手のエリート教育機関で、アカデミー生はJヴィレッジ近郊の寮で寄宿しながら練習場に通い、プロサッカー選手を目指す。
山之内が在籍したJFAアカデミー福島WESTは、2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う一時避難によって、一時的に静岡県御殿場市時之栖(ときのすみか)で活動していたチームだ。
当初はJFAアカデミーへ行く気はなかったという山之内。FC岐阜など地元のクラブチームに進む選択肢もあったが、両親から「こんなチャンスはない。チャレンジをしてみたら?」と背中を押され、より良い環境を求めて静岡へ飛んだ。
当初は寮生活に対して「めちゃくちゃ抵抗があった」という。12歳でいきなりの寮生活は、想像通り簡単ではなかった。
「最初はやっぱり大変でしたね。自分のことを全部自分でやるので。 洗濯をしたり、携帯の使用時間も限られていました」
それでも徐々に共同生活に慣れ、JFAアカデミーの充実した練習環境の中で実力を磨いた。
JFAアカデミー福島U-18(WEST)へ昇格後は、高校1年からトップチームの試合に絡み、高校3年では、公式戦全試合に出場したという。
だが、高校2年のときに新型コロナウイルスが全国的に流行した。
山之内は「(寮では)なるべく密にならないようにして、ほぼ隔離状態のような状態でしたね。大会や遠征もコロナで出られなかったこともありました」と振り返り、歯がゆさを感じた。
東洋大進学後は、柏の入団内定を勝ち取った一方で、負傷の影響でスタンドからチームを見守る時期もあったという。
