15番:アンヘル・コレア

アトレティコ・マドリーに所属する27歳のFW。
ロサリオの危険な地域で貧困のなかで育ち、10歳で父親を亡くしたため、8人の兄弟を養い、母の世話を手助けした。
「銃弾で多くの友を失くした」と話しており、兄弟2人も失くしている。だが、11歳でスカウトに見出され、サッカーで人生が変わった。
「子供の頃の一番幸せな思い出は、父が赤ちゃんサッカーに付き合ってくれたこと。父が10歳になるまで一緒だったのは幸運だった。
父が亡くなった時に受け取った手当ては母に渡した。とても少ない額で数千ペソほどだったが、そのおかげで家族は1日1食にありつけた。
母は『私はお腹が減ってないから』と言って、家族たちが少しずつ食べられるようにしてくれた」
11番:アンヘル・ディ・マリア

ユヴェントスに所属する34歳のウィング。
幼少期は父親の石炭運搬を手伝い、全身炭まみれだったことも。母親によれば、「幼い頃は運動過多だった。医者から『何かスポーツをすれば落ち着く』と言われ、空手の代わりにサッカーをさせた」そう。
本人も『The Players Tribune』で、こんな秘話を明かしている。
「家の壁は白いはずだが、白かった記憶はない。最初は灰色で、その後は黒くなった。炭の粉でね。
父は鉱夫だったが、鉱山で働くようなタイプではなかった。
炭が作られているところを見たことがあるかい?
どこの店でも売っているロースト用の小さな袋は、どこからか来たものだ。実は、炭はとても汚れる仕事なんだ。
親父は庭のトタン屋根の下で働いていたが、市場に売りに行くために炭の塊を袋詰めにしなきゃいけない。
小さな“助っ人”もいたよ。学校に行く前に、妹と一緒に起きて、手伝いをしたものさ。
自分たちは9歳か10歳だったから、石炭を袋詰めするのに最適な年齢だった。それをゲームにしちゃえたからね。
トラックがやって来ると、その袋をリビングから玄関まで運ばなければならないので、要するに家中が真っ黒になる。
でも、それで食べていけていたし、父が家を奪われることなく自分たちを救ってくれた方法だった。
自分が赤ん坊の頃は両親はうまくやっていた。でも、父がある人のために良いことをしようとしたことで、家族の人生は一変した」
