「友人から家の保証人になることを頼まれた父はその人を信じた。だが、そいつは金を支払わなくなり、ある日、忽然と姿を消した。
だから、銀行は親父を狙った。親父は家2軒の代金と自分の家族を養わなければいけなくなり、おぼれる寸前だった。
最初の商売は炭じゃなかったんだ。家の前で商売をしようとした。あらゆる洗剤を買ってきて、小さな瓶に小分けにして、リビングで売っていたんだ。
うちの近所に住んでいれば、店でCIF(洗剤ブランド)のボトルを買わなくてよかった。あれはとても高かった。ディマリアの家にいけば、うちの母親がより手頃な値段でボトルを売ってくれるからね。
ある日までは全てがうまくいっていた。ある少年のせいで家族は全てが台無しになり、本人も死にかけた。
そうさ、その少年は俺だ。子供の頃の俺はクソ野郎だったんだ!
本当のワルだったわけじゃない。ただ、エネルギーが有り余っていた。多動症だったんだ。
ある時、母親が自宅で商売をしていて、自分は通路で遊んでいた。
お客が通れるために正面の門は開いていて、母がよそ見をしている時に俺は歩き出した。歩き続けた、探検したかったのさ!
道路の真ん中まで行ってしまい、車に轢き殺される寸前だった俺を助けるために母は狂ったように走らなきゃいけなかった。
母曰く、かなりドラマチックだったとか。で、それがディマリア一家のクリーニング業の最後の日になった。母は父に伝えた、『危ないから、他を探さなきゃいけない』って。
その時、炭の樽を運んでいる人がいると聞いた。でも、笑えることに、俺の家には炭を仕入れるための金さえなかった。
親父はその人を説得して、最初の出荷分を送ってもらい、それを売ったうえでその代金を支払わなければいけなかった。
だから、俺や妹がお菓子なんかをねだると、父から『家2軒分とトラック1台分の石炭代を払っているんだぞ!』ってどやされたよ。
ある日、父と一緒に石炭の袋詰めをしている時に、雨が降ってとても寒かったのを覚えている。トタン屋根の下にいたけれど、そこにいるのはとてもつらかった。
自分はその後、暖かい学校に行けた。でも、父はその場で休むことなく、一日中袋詰めをしていた。
なぜなら、その日に石炭を売れなければ、家族は何も食べられないからね。
自分はこう思ったし、強く信じていた。『いつか全てが良くなる時がくる』と。
だから、全てはサッカーのおかげなんだ」
また、サッカーを始めた頃はスパイクを買い直すお金がなかったので、壊れた部分を母親が接着剤でくっつけていたとか。
ロサリオ・セントラルに入団した際も、「遠い、9キロもある!車もないんだぞ、どうやって連れていく」と躊躇する父を「ダメよ!心配いらない、私が連れていく」と母親が説得。
母は、錆びた自転車にディマリアと妹の2人、スパイクと食べ物を入れたバッグを乗せて、毎日練習の送り迎えをしてくれたそう。
筆者:井上大輔(編集部)
