2002年:ポルトガル

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2002年大会において、ポルトガルは最も魅力的な優勝候補の一角だった。それまでW杯の常連ではなかったが、EURO2000で見せた「黄金世代」の輝きは本物だったからだ。バロンドール級のスターであるルイス・フィーゴを中心に、ルイ・コスタ、ジョアン・ピント、フェルナンド・コウトといった技巧派が揃っていた。
しかし、衝撃はすぐに訪れた。アメリカとの初戦では開始38分で3失点を喫するという悪夢。2-3で敗れた後、ポーランドを4-0で粉砕して立て直したかに見えたが、共催国の韓国を相手に自滅した。ジョアン・ピントとベトが退場処分を受け、0-1で敗戦。
彼らの才能は疑いようもなかったが、冷静さを欠いていた。後にW杯の常連国となるポルトガルにとって、2002年は今なお「最大の失策」の一つとして語り継がれている。
1994年:コロンビア
W杯の「ダークホース」にまつわる物語の中で、1994年のコロンビアほど悲劇的なものはない。予選でのパフォーマンスは圧巻で、ブエノスアイレスでアルゼンチンを5-0で粉砕した結果を受け、一部では優勝候補とさえ目されていた。美しいライオンヘアーのカルロス・バルデラマが率いる才能豊かな集団はスタイルと個性に溢れていたが、チームを取り巻くプレッシャーは尋常ではなかった。
大会期間中、選手たちは脅迫や外部からの干渉に晒され、不安定な情勢にある国家を背負う重圧に苦しんでいたという。ピッチ上では初戦でルーマニアに屈し、続くアメリカ戦では1-2という衝撃的な敗戦。この試合でアンドレス・エスコバルが痛恨のオウンゴールを献上した。
その数週間後、そのエスコバルはメデジンのナイトクラブの外で射殺された。コロンビアの1994年は単なる失敗に留まらず、W杯の歴史上最も大きな悲劇として刻まれている。
※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。
筆者:石井彰(編集部)
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