アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国共催で行われる2026年ワールドカップの開幕がいよいよ目前に迫っている。

サッカー界最大の祭典が北米へと舞台を移し、ホストを務める3つのチームは地元のファンの前で誇り高い戦いを見せたいところだろう。

だが、ワールドカップの長い歴史を振り返ってみても、開催国がそのまま栄冠を手にした例はわずか「6回」のみ。『thefootballfaithful』より、「ホームの地で世界の頂点に立った歴代の開催国」を紹介しよう。

ウルグアイ(1930年)

記念すべき第1回FIFAワールドカップの開催地に選ばれたのは、南米の小国ウルグアイだった。そして開催国は、その期待に完璧に応えて初代王者に輝いている。

1930年大会は、現代のワールドカップとは大きく異なるものだった。参加国はわずか13チームで、多くの試合は首都モンテビデオで開催。決勝の舞台となったエスタディオ・センテナリオは、ウルグアイ独立100周年を記念して建設されたばかりのスタジアムだった。

そして当時のウルグアイは、すでに1924年と1928年のオリンピックを連覇していた世界最強クラスのチーム。決勝では、準決勝をともに6-1というスコアで勝ち上がってきた隣国アルゼンチンと激突した。

両国のライバル意識もあって、試合は異様な緊張感に包まれた。ウルグアイは前半を1-2の劣勢で終えたものの、後半に底力を発揮。最終的に4-2と逆転勝利を収めた。

ダメ押しとなる4点目を決めたのは、少年時代に片腕の一部を失ったというエピソードを持つエクトル・カストロ。第1回大会の決勝は、開催国の逆転優勝、南米の宿敵対決、そしてカストロの伝説的なゴールによって、ワールドカップ史に残る最初の名場面となった。

イタリア(1934年)

1934年大会では、イタリアが前回のウルグアイに続く「開催国優勝」を成し遂げた。決勝でチェコスロバキアを破り、欧州勢として初めてワールドチャンピオンとなっている。

ただ、この大会はワールドカップ史の中でも特に政治色が濃いものだった。ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権下で開催され、イタリア代表には勝利への凄まじい重圧がかかっていた。

大会方式も1930年とは異なり、完全なノックアウト形式。ヴィットリオ・ポッツォ監督に率いられたイタリアは、戦術的な規律、肉体的な強さ、そして伝説のFWジュゼッペ・メアッツァらの技術を武器に勝ち進んだ。

特にスペインとの準々決勝は凄惨な肉弾戦となり、再試合の末にようやく勝利。迎えたローマでの決勝では、チェコスロバキアを相手に残り9分までリードを許す苦しい展開となった。しかし、ライムンド・オルシの同点弾で追いつくと、延長戦ではアンジェロ・スキアビオが決勝ゴール。イタリアは劇的な逆転勝利で初優勝を飾った。

なお、この大会では前回王者ウルグアイが出場を辞退している。1930年大会に多くの欧州勢が参加しなかったことへの不満が理由とされており、初期のワールドカップならではの異例の出来事でもあった。

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