アルゼンチン(1978年)

1978年のアルゼンチン大会は、ワールドカップ史の中でも最も感情的で、同時に最も物議を醸した地元優勝の一つである。

当時のアルゼンチンは軍事独裁政権下にあり、大会全体に政治的な影が差していた。ワールドカップは国家的なプロパガンダの場としても利用され、ピッチ外の空気は決して軽いものではなかった。

それでもピッチ上のアルゼンチン代表は、セサル・ルイス・メノッティ監督の下で情熱的かつ攻撃的なサッカーを展開した。エースとして期待されたマリオ・ケンペスは大会序盤こそ得点がなかったものの、重要な局面で一気に輝きを放つ。

この大会で最も議論を呼んだ試合の一つが、2次リーグ最終戦のペルー戦だった。アルゼンチンは決勝進出のために大差での勝利が必要な状況で、6-0という大勝を収め、得失点差でブラジルを上回った。この結果は今なお様々な疑惑とともに語られている。

ブエノスアイレスでの決勝では、2大会連続の決勝進出となったオランダと対戦した。試合は激しい肉弾戦となり、オランダは終盤にシュートがポストを叩く不運もあった。

延長戦に入ると、主役となったのはケンペスだった。2点目を決めてアルゼンチンを勝ち越しに導くと、最後はダニエル・ベルトーニが3点目を叩き込んで3-1。アルゼンチンは悲願の初優勝を達成した。

ケンペスは大会優勝、ゴールデンボール(MVP)、ゴールデンブーツ(得点王)を同時に手にした貴重な選手となった。栄光と論争が入り混じる1978年の優勝は、今もなおアルゼンチンサッカー史の中で特別な位置を占めている。

フランス(1998年)

画像: フランス(1998年)

フランスが長年待ち望んだ栄冠を手にしたのは、自国開催となった1998年大会だった。

フランスはそれまでワールドカップで3度の準決勝進出を経験していたが、優勝には届いていなかった。しかも、1990年と1994年の2大会では予選敗退。本大会出場すら逃していたため、地元開催の1998年大会には大きな期待と不安が入り混じっていた。

エメ・ジャケ監督に率いられたチームには、ジネディーヌ・ジダン、ディディエ・デシャン、ローラン・ブラン、マルセル・デサイー、リリアン・テュラム、ファビアン・バルテズといった黄金世代が揃っていた。

フランスは強固な守備と中盤の統制を武器に勝ち進んだが、道のりは決して平坦ではなかった。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では、ブランがワールドカップ史上初のゴールデンゴールを決めて突破。準決勝のクロアチア戦では、それまで代表で一度もゴールを決めていなかったテュラムがまさかの2得点を挙げ、チームを決勝へ導いた。

スタッド・ドゥ・フランスで行われた決勝の相手は、前回王者ブラジル。怪物ロナウドの大会になると予想されていたが、試合直前に彼の体調不良が伝えられ、決勝は不穏な空気に包まれた。

その中で主役を演じたのはジダンだった。コーナーキックから2本のヘディングシュートを決め、フランスに大きなリードをもたらす。最後はエマニュエル・プティが3点目を決め、前回王者を3-0で撃破した。

このスコアは、ワールドカップ決勝史上最大得点差タイとなる記録でもあった。多様なルーツを持つ選手たちで構成されたチームは、フランス社会における多様性と一体感の象徴として語られることになる。フランスという国のサッカーのアイデンティティを変え、ベルベル人であるジダンを国民的英雄へと押し上げた歴史的な瞬間だった。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

筆者:石井彰(編集部)

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