イングランド(1966年)
1966年、イングランドは3チーム目の「開催国王者」となった。現在に至るまで、これがイングランド代表にとって唯一のワールドカップ優勝であり、同国のサッカー史を定義づける瞬間として語り継がれている。
アルフ・ラムゼイ監督に率いられたチームは、決して派手な攻撃集団ではなかった。しかし、極めて組織的で、力強く、崩しにくいチームだった。中盤ではボビー・チャールトンが質をもたらし、最終ラインではボビー・ムーアが優雅に守備を統率した。
ウェンブリー・スタジアムで行われた西ドイツとの決勝は、ワールドカップ史上最も有名な試合の一つである。ジェフ・ハーストのゴール、西ドイツの同点弾、マーティン・ピーターズの勝ち越し、そして試合終了間際のヴォルフガング・ウェーバーによる同点弾。試合は延長戦にもつれ込んだ。
そこで生まれたのが、今なお論争の的となっているハーストのシュートだった。ボールはクロスバーを叩いて真下に落ち、ゴールラインを越えたかどうかが大きな議論となったが、判定は得点。ハーストはその後さらにゴールを決め、ワールドカップ決勝史上唯一となるハットトリックを達成した。
イングランドは4-2で勝利し、母国に唯一の主要タイトルをもたらした。この試合のテレビ視聴者数はイギリス国内で3230万人に達したともされ、今なお同国のスポーツ史を代表する一戦である。
西ドイツ(1974年)
1974年、西ドイツは地元の観衆の前で2度目のワールドカップ制覇を果たした。
ただ、この大会の主役として世界中の想像力を掻き立てていたのは、むしろヨハン・クライフを擁するオランダだった。「トータルフットボール」と呼ばれた革新的なスタイルは、ワールドカップの歴史を変えるほどのインパクトを残していた。
一方の西ドイツは、フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ゼップ・マイヤー、パウル・ブライトナーらを擁する実力派。華やかさではオランダに譲ったかもしれないが、勝負のなんたるかを知る選手たちが揃っていた。
大会序盤は決して順風満帆ではなかった。1次リーグでは東ドイツに敗れるという衝撃的な結果も経験している。しかし、その敗戦がチームを引き締めるきっかけになったとも言われる。
ミュンヘンのオリンピアシュタディオンで行われた決勝では、開始直後に大きな試練が訪れた。オランダはキックオフからボールをつなぎ、西ドイツが一度もボールに触れないままPKを獲得。ヨハン・ニースケンスがこれを決め、オランダが先制した。
それでも西ドイツは崩れなかった。ブライトナーのPKで追いつくと、前半のうちにミュラーが逆転ゴールを奪取。この試合は、実はワールドカップ決勝史上初めてPKが宣告された試合でもあり、イングランド人のジャック・テイラー主審は両チームにそれを与えている。
美学と効率がぶつかり合った決勝は、最終的に西ドイツが2-1で勝利。オランダの革命的なサッカーは強烈な記憶を残したが、トロフィーを掲げたのは開催国のほうだった。
