ベトナムの国旗を身に着けるモチベーションの高さ

――東南アジア各国はその国のルーツがある選手を欧米から積極的に招集しています。そこを視野に入れてマネジメントはされていましたか。

そうですね。東南アジアの選手は体が小さいので、どうしても体が大きい選手を求めるときに「ハーフの選手を探したい」という意見はお互いにあるんですが、なかなか代表にフィットするぐらいのレベルの選手が少なかった。

私がタイのU-22を率いたときもそうですけど、ハーフの日本人、ハーフのヨーロッパ人を見つけたいと思っても草の根で探すしかないですね。これは反町(康治、日本サッカー協会技術委員長)にも「どうしているの?」と聞きました。ヨーロッパにも日本のハーフがいるんですね。あっちで生まれ育って、フランス代表になるのか日本代表になるのか。あるいはドイツ代表になるのかという選手が実はいます。でもそれも大体自己申告だったり、親から売り込んだり、代理人が売り込んだりという形です。いまの登録制度では調べられないんですよね。日本のサッカー協会はいまそれに取り掛かるようなことを言っていました。

今回はケガで出られないのかな。ロシアのハーフのラム(ダン・バン・ラム、元セレッソ大阪)という選手は自分から言ってきたような感じですよね。何人か僕の経験の中ではチェコだったかな。そっちの方のハーフの選手がいましたね。

――ベトナムで指導されていて試みた部分を教えてください。

最初は(チームのことが)分からなかったので、一般的なところから入っていきました。いいところは伸ばす、悪いところは修正する両方の作業。いいとこでいうと、技術的にそんなに問題ありませんでした。技術的にというのはボールを持ったときはそんなに悪くないなというのがありました。

弱いところはデュエルを嫌がったり、競れなかったし、インテンシティが日頃のトレーニングを見ていると低かった。そこはトレーニングの中で1か月くらいあると明らかに改善できたところだと思います。

――マネジメントする上で注意していた点は。

ベトナムの文化を理解することです。それがないと人間は付いてこない。その仕事がサッカー以外の部分と半々くらいの重さがあると認識していました。できる限り衝突はしつつも理解をしながら、ときには喧嘩をして、仲良くなるを繰り返しながらスタッフや協会とはやっていたと思います。

選手は代表に対してすごくロイヤリティ(忠誠心)を持っていたので、そういう意味ではやりやすかった気がします。「ベトナムの国旗を付ける」ということに対して彼らはモチベーションが高かった気がするので、そこは楽でしたね。

――ベトナムの強みを教えてください

強みは割と日本と似てるんですけど、「集団でチームのためにやる」、「チームが優先される」ということが結構ある。アグリカルチャー(農耕)の文化というか、みんなで集団して行動することが好きなんですよね。

みんなと同じ時間にご飯を食べて練習するところは、まとめやすかったと思います。逆にいうと、個性的に自己主張する選手は欧米に比べるとかなり少ない。日本もそうだとは思うんですけど、そういう文化だったと思います。

――U-23も代表監督を兼任されました。2つのチームを指揮する難しさはありましたか。 

僕はなかったですね。日程が被れば難しいと思いますけど、ほとんど被ってなかったような気がします。そうするとむしろ利点のほうがありました。代表監督はチームのキャンプしか練習がないので、体は空いているんですよね。なので、その間にU-23のキャンプで良かった選手を、代表に入れると、「あ、A(代表)に彼を入れてもいいな」という自分の目で見て引き上げられる利点をすごく感じました。逆にいうと、日韓ワールドカップの時に(フィリップ・)トルシエさんが2つ持っていた点は理に適っているんじゃないのかなと思っています。