1995年、ジョン・カーティスの将来はバラ色だった。
カーティスはイングランドU-16代表チームのキャプテンで、マンチェスター・ユナイテッドではFAユースカップに優勝し、FAのナショナル・スクール(国立のサッカー選手養成学校)にも選抜されていた。カーティスは将来イングランド代表の右サイドバックを担い、キャプテンを務める選手だと思われていたのだ。
ところが8年が過ぎ、2003年、カーティスは冴えない1選手になっていた。マンUを放出され、レギュラーを掴みかけたブラックバーンでも怪我で戦力外に。
そのときプレミアに昇格したばかりのレスターに、ようやく拾ってもらったところだった。A代表の経験などもちろんなかった。「期待にこたえられなかった、かつての“期待の若手”」という、ありふれたストーリーの1つだ。日本でいえば、財前宣之や前園真聖、石塚啓次などが代表格だろうか。
しかし、逆の見方もできる。カーティスは、キャプテンを務めるほどの選手だったからこそ、幸運にもプレミアに生き残っているのだ、と。
カーティスがいたU-16代表チームの中で、2003年当時にプレミアでプレーしていたのはリーズのジョディ・モリスだけだ。その他の選手はみな、よくて2部や3部、悪ければアマチュアでプレーしている。マンUとアーセナルが争奪戦を繰り広げたマシュー・ウィックスも、プレミアリーグの舞台に立てないまま選手生命を終えた。
GCSE(イギリスの全国統一テスト。義務教育終了時に行われる)の8科目で4つのAと3つのBをとったカーティスは、自分の現状を冷静に分析する。
自分のキャリアは、どちらかといえば成功した方なのだ、と。
彼は言う。
現実は、16歳のカーティスが夢見たものとは違っていた。しかし、プレミアリーグで戦っているという時点で、彼はすでに特別だと言ってよい。