5月11日に行われた名古屋グランパス戦で、2-1の勝利を収めた横浜F・マリノス(以下マリノス)。ここ4試合白星に恵まれていなかったが、久々の勝利を手にし、首位を走る大宮アルディージャとの勝ち点差を3とした。
今シーズンのマリノスは開幕から6連勝を飾るなど、攻守のバランスががっちりと噛み合ったサッカーで上位につけている。特に「いぶし銀」の大ベテランたちの活躍が目立っているが、その中でも一際輝く男が今回のコラムの主役だ。そう、日本が世界に誇るファンタジスタ、中村俊輔である。
・栄光と挫折のサッカー人生
今年の6月で35歳になる中村の輝かしい経歴は多くのサッカーファンがご存知だろう。1997年にマリノスへ入団し、2000年に22歳の若さでJリーグ最優秀選手賞と日本年間最優秀選手賞をダブル受賞。2002年にセリエAのレッジーナへ移籍し海外挑戦を果たすと、2005年にスコットランド屈指の強豪クラブであるセルティックへ加入。チャンピオンズリーグではマンチェスター・ユナイテッド相手にフリーキックを決めるなど、センセーショナルな活躍を見せ、スコットランド国内の個人タイトルを総なめにした。
日本代表としても長らく中心選手として活躍し、名実ともに日本を代表とする選手のひとりとしてスポットライトを浴び続けてきた中村。だが、2009年にスペインのエスパニョールへ移籍した頃から徐々に輝きを失い始める。新天地ではチームに上手く馴染むことができず、周囲の失望を買ってしまったのだ。これまでも幾多の日本人選手がリーガ・エスパニョーラの壁に跳ね返されてしまっていたが、希代のファンタジスタでもその壁を乗り越えることができなかった。
スペインでの挑戦を終えた中村が次に選んだのは、古巣であるマリノスへの復帰という道だった。ここで試合勘を取り戻した中村は南アフリカW杯のメンバーに選出された。しかし、「10番」を背負って臨んだ2度目のW杯は不完全燃焼に終わる。エースの座を本田圭佑に明け渡し、出場機会はグループリーグのオランダ戦での途中出場のみだったのだ。ショックを隠さなかった中村は大会後に代表引退を表明。チームは望外のベスト16進出を果たしたが、中村個人としては悔しさの残るW杯となってしまった。
・「第二の春」を謳歌
徐々に下降線を辿っていた中村のキャリアだったが、主将に任命された2011シーズンから輝きを取り戻し始める。代表から引退し、心身ともに解放された中村は随所で流石のプレーを披露。特にシーズン途中からの活躍は多くのサッカーファンに強烈なインパクトを与えた。
そして、トップ下または右サイドで起用されている今シーズンのパフォーマンスはまさに”圧巻”の一言。全盛期を思わせるスルーパスや軽快なトラップなどで相手ディフェンダーを翻弄すれば、全く錆びつく気配がない高精度のプレースキックでチャンスを演出。すでにリーグ戦で直接フリーキックを3本決めるなど、その「黄金の左足」は老いてますます盛んといった印象だ。J1での直接FKからの得点は遠藤保仁と並んで16点で歴代トップタイ。今シーズン中の新記録樹立に大きな期待が寄せられている。
さらに、見逃せないのが守備面での貢献だ。マリノスを率いる樋口靖洋監督は前線からのアグレッシブなプレスを徹底させているが、中村も積極的なチェックでボールホルダーにプレッシャーをかけ、ファーストディフェンダーとして機能している。運動量の低下が懸念される年齢だけに守備のタスクを免除されてもおかしくはないが、率先して守備を行う姿からはキャプテンとしてチームを引っ張る男の想いが垣間見える。
輝かしいキャリアを誇りながら、決して驕ることなく、王様然することなく真摯にサッカーと向き合う中村。現在謳歌している「第二の春」はそんな彼にサッカーの神様が与えてくれたプレゼントなのかもしれない。一部では”日本代表復帰待望論”も唱えられている「マリノスの25番」のプレーをこれからも目に焼き付けていきたいと思う。
2013/5/12 ロッシ
筆者名:ロッシ
プロフィール:エル・シャーラウィ、ネイマール、柴崎岳と同世代の大学生。鹿島アントラーズ、水戸ホーリーホック、ビジャレアルを応援しています。野球は大のG党。
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