「空の青」という意味を語源とするイタリア代表チーム、「アッズーリ」は、世界のフットボールにおいて常に最前線を行くチームの1つでもある。何度も「時代遅れ」と評されながら結果を残していくその姿は、ある意味で「日常」の積み重ねによってチームを完成させてコツコツと結果を出していくドイツやスペインといった国々とは一線を画する印象を受ける。どん底に落ちて、「前評判最悪の状態」の時に限って結果を残していく不可思議なメンタリティは一体どこからくるのであろうか。
そんなアッズーリは非常にリラックスした状態で、このコンフェデレーションズカップに参加していた。余裕を持った現地入りに加え、イタリア紙では「様々な食材を持ち込もうとして、生ハムや干し肉などが税関で没収された」との報道もあったほどだ。そんなリラックスしたイタリア代表でありながら、決してこの貴重な機会を無駄にしようとはしてはいなかった。現地入りしてからは4‐3-3や4-3-2-1といった様々なフォーメーションでの試行錯誤を繰り返し、1年後に迫った本番のために新たな武器を見つけ出そうとしていた。
完成度自体は低くとも、「メキシコの速さを奪う目的で我々は新しいサッカーを試みる」と司令塔ピルロが試合前に述べたことがそのまま現実になるようなサッカーによって、初戦は難敵メキシコを圧倒。ショートカウンターを封じるために構成された4-3-2-1によって容赦なく相手を封じてしまった。
この組み立てのシステムは非常に細かく作り込まれていた。まずはジャッケリーニかマルキージオのどちらかがサイドに流れてメキシコのサイドバックに蓋をすると、サイドバックが一気にオーバーラップ。サイドの2枚をそこで引き付けてしまう。かつ、特にマルキージオがボランチを牽制することによってボランチもなかなか思い切ってボールにアタックにいくことが出来ない。そうしたところで、モントリーヴォやデ・ロッシでピルロの両脇をカバーしながら組み立てていくことによって、イタリアが保有する3人のパサーが自由に火を噴く展開となった。メキシコとしては、「相手に中盤で自在にボールを回されてしまい」、かといって焦って取りに行けば「数的不利な状況で上手く逃げられ、ピルロやモントリーヴォから高精度のボールで一気にピンチを作られてしまう」という、どっちにしても良くない状態に陥ってしまった。更にボランチの高さで余裕を持ってボールを回しながらペースを掴み、チャンスが出来るまで仕掛けないことによって危険なメキシコのカウンターも防いでしまう。
このような状況に陥ったメキシコは、特に前半はペースを握られて苦しんだ。後半はPKによる失点と前線の苛立ちに伴って試合のペースが上がり、それによってメキシコもカウンターを狙えるようになってしまったことからイタリアも苦しんだが、試合全体で見ればイタリアのプラン通りに試合は進んでいった。このような一試合目があって、日本戦があったということを最初に述べておきたい。
イタリア代表指揮官チェーザレ・プランデッリは恐らく日本を過小評価していた。ブラジル戦のスカウティングによって前線の守備能力が低いと見積もった彼は、マルキージオに代えてアクイラーニを投入。更にはモントリーヴォを高い位置に上げていくことによって「より攻撃的でボールを支配出来る」オプションを試そうとしたのである。
ブラジル戦のように前線2人が積極的に守備に参加してこないならば、ピルロとデ・ロッシに組み立てを託し、モントリーヴォを押し上げていくことによって両サイドに攻撃の起点を作っていこうとしたのである。しかしこれには大きなミスがあった。アクイラーニとモントリーヴォはどちらかというと底でボールを捌くタイプというのもあり、なかなか後ろを向いてボールを受けて起点になることは出来なかった。また、守備貢献が無かったはずの本田と前田がしっかりと組み立てを阻害しようと走り回る。
更に、バイタルエリアに顔を出しながらボランチ2枚を牽制していく役割を担っていたマルキージオを下げてしまったことによって中盤が数的同数に。こうなったことで、2人のボランチがアクイラーニやモントリーヴォにも積極的にアタック可能になってしまった。これによって、何度となく日本はアクイラーニやモントリーヴォからボールを奪い取っていったのである。プランデッリも前半のうちに失点すると慌ててアクイラーニを下げ、ジョビンコを投入することによって前線には流動性と枚数が揃うことになった。しかし、モントリーヴォが左サイドに張り付いているところまでは修正しきれなかったが故に、結局試合の中でメキシコ戦のように上手く攻撃を組み立てるイタリアは戻ってこなかった。
更に、攻撃でもザッケローニの策が光った。一度中央で顔を出した香川が外に流れながら一気にデ・ロッシを外に引きずり出すことによってイタリアの中盤はモントリーヴォとピルロという守備を得意としない2人に。そうしてしまえば本田や岡崎によってチャンスを作ることはそこまで難しいミッションではなかった。実際、イタリアの中盤守備が甘いことをイタリアでの指揮経験も長いザッケローニは熟知していたのだろう。実質左サイドハーフのようになっていたモントリーヴォと、右サイドハーフのようになっていたアクイラーニは両方とも守備貢献の意識が薄く、何度となくサイドバックのオーバーラップによっても危険な場面を作り出された。そうなってくれば、よりデ・ロッシという唯一守備が出来る中盤すらサイドに引き出されていく。ジョビンコ投入以降は、よりジョビンコが高い位置を取るプレイヤーだったこともあったことで、デ・ロッシが完全に右サイドを守り、モントリーヴォが左サイドを守る形に。そうなれば守備を得意としていないピルロの周辺を守る騎士はいない。そんな薄くなった中盤で何度となく本田と香川はポジションチェンジを繰り返しながら、相手の中盤を切り裂いていった。更に焦ってのジョビンコ投入によって前線の守備が整理されていない状態になったことから何度となく遠藤がフリーになり、そこをチェックにいけば香川がフリーに。何度となく悪循環がアズーリに襲い掛かっていった。
お互いにミスやセットプレーからの得点や失点が大半を占めるように、特にアズーリは最初に崩れたゲームプランの重い影響を最後まで背負わされた。実験的なフォーメーションの失敗によって、流れを掴まれて一気に主導権を奪われてしまったのだ。最終的に乱戦に持ち込んで試合自体の勝ちは掴んだものの、プランデッリとザッケローニの対決ではザッケローニの圧勝であったように思えてならない。特に内田に代えて70分過ぎに酒井を投入した采配は絶品で、守備に戻ってくる回数が減っているモントリーヴォのサイドを突いて切り崩していくというプレーによって終盤の波状攻撃に繋げていった。
結果的にイタリアは辛くも逃げ切ったが、イタリアの実験は失敗に終わったのは確かだ。メキシコ相手に成功した4-3-2-1は、日本戦ではザッケローニによって沢山の穴を露呈した。ある意味でコンフェデレーションズカップという場で、イタリアは貴重なデータを手に入れたという風にも見ることが出来るのではないか。
最後に日本代表についても言及しておこう。「イタリアのプランが失敗したこと」と「ザッケローニのプランが成功したこと」が重なっても、勝ち切れなかったことは勿論残念だ。特に最後の一手としてイタリアと日本を分けたのは、「最少人数での崩し」のクオリティだったように思えてならない。日本も確かに攻撃では多くのチャンスを作り出したが、多くの枚数をかけた攻撃が多かった。ある意味ではそれは、イタリアの守備を整えて引かせてしまう時間を与えてしまったということでもある。実際相手を押し込んだ状態からゴールを狙うことは簡単ではない。逆に、イタリアは4点目のように3枚で簡単に崩し切った攻撃で試合を動かした。「前線の枚数が足りない」からこそ、「守備も完全に引けておらず」、DFラインに大きな油断と隙が生まれてしまっている。ある意味で、強豪であってもある程度はボールを支配出来るほどのチームになったからこそ、そういった相手の隙を狙っていくような攻撃も今後必要になってくるのかもしれない。
筆者名:結城 康平
プロフィール:「フットボールの試合を色んな角度から切り取って、様々な形にして組み合わせながら1つの作品にしていくことを目指す。形にこだわらず、わかりやすく、最後まで読んでもらえるような、見てない試合を是非再放送で見たいって思っていただけるような文章が書けるように日々研鑽中」
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