7月13日に等々力陸上競技場で行われた浦和レッズ戦で、4-0の快勝を収めた川崎フロンターレ。今シーズン5度目の4得点を記録し、風間八宏監督が標榜する攻撃サッカーを見事体現したと言えるだろう。

この試合では、ある選手の偉業にも注目が集まっていた。大久保嘉人、31歳。後半4分にペナルティキックを沈め、史上11人目となるJ1通算100ゴールを達成し、その名を日本サッカー界に刻んだストライカーを今回のコラムで取り上げたいと思う。

・10代のころから注目され続けた“天才”

大久保は10代のころからスポットライトを浴び続けてきた。名門・国見高校ではエースとして活躍し、タイトルを総なめ。インターハイと高校選手権では得点王を獲得するなど、当時からその才能は際立っていた。数クラブの争奪戦の末、高校卒業後の2001年にセレッソ大阪へ入団。背番号10を託された2003年シーズンにはリーグ戦16ゴールをマークし、日本代表デビューも果たす。翌シーズンもリーグ戦15ゴールと結果を出し、アテネオリンピックでも活躍。その後はリーガ・エスパニョーラのマジョルカ、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸で存在感を示し、2008年にブンデスリーガのヴォルフスブルクへ移籍。2度目の海外挑戦を果たしたが、この頃から以前の輝きが失われてしまった。

・近年は挫折と怪我に悩まされ・・・

ヴォルフスブルクでは、鬼軍曹とも称されるフェリックス・マガト監督と衝突したこともあって、満足な出場機会を得ることができず退団。チームは史上初となるリーグ優勝を成し遂げたが、大久保自身は不満の残るシーズンとなってしまった。

ドイツでの挑戦を終えた大久保はかつて所属していたヴィッセル神戸で再起を図る。翌年に迫った南アフリカW杯を見据えた国内復帰だった。無事選出されたW杯では全試合で先発出場し、ゴールこそなかったものの、豊富な運動量と献身的なディフェンスでチームのベスト16入りを支えた。この活躍によって、国内外のクラブからオファーが殺到したと報じられたが、神戸残留を表明。幾度となく怪我との闘いを強いられ、ゴールから遠ざかる時期もあり、決して順風満帆ではなかったが、FWだけでなく攻撃的な中盤としても奮闘し、サポーターから愛された。

 

 

・新天地で「第二の春」を謳歌

神戸の顔として活躍を続けていた大久保。しかし、チームは2012シーズンを16位で終え、J2降格が決定してしまう。責任を感じた大久保は残留を望んでいたが、クラブ側からの慰留はなく、移籍を決意。新天地は熱心なオファーを出した川崎フロンターレに決まった。

新天地では本職のFWとして起用されたこともあって、即座にフィット。第2節の大分トリニータ戦で移籍後初ゴールをマークすると、その後もコンスタントにゴールネットを揺らす。冒頭でも触れたように、第16節の浦和レッズ戦でJ1通算100ゴールの大台を達成するなど、「第二の春」を謳歌中だ。ここまでリーグ戦15試合に出場し、得点ランキング2位タイとなる11ゴールを挙げている(2ケタゴールは神戸時代の2008年シーズン以来)が、このペースで得点を重ねていけばJ1でのキャリアハイである16ゴール(2003年シーズン)を超えることも十分に可能だろう。

目下絶好調の大久保には日本代表復帰を望む声が多い。事実、川崎でのハイパフォーマンスは間違いなく代表クラスのそれだ。今シーズンのJ1は例年以上に日本人ストライカーの活躍が目立っており、コンフェデレーションズカップでも露呈したFWの決定力不足を救うであろうタレントが目白押しである。それだけに、1トップを採用している現代表のFWを巡る争いはかなり激しいものと言えそうだ。しかし、FWだけでなくサイドでもプレーできるオールラウンド性と豊富な国際経験が大久保の売り。闘志をみなぎらせてピッチ上を駆け回る姿は南アフリカW杯で証明済みだ。熱望する「代表復帰」を叶えることはできるのか。そして、自身初となるJリーグ得点王に輝くことはできるのか。 浦和戦後『サッカーをしていなかったら、どっかでのたれ死んでたと本気で思う。サッカーやれてて、本当に良かった』(デイリーnewsより引用)と語った男を今後も注視していきたい。

2013/7/14 ロッシ


筆者名:ロッシ
プロフィール:エル・シャーラウィ、ネイマール、柴崎岳と同世代の大学生。鹿島アントラーズ、水戸ホーリーホック、ビジャレアルを応援しています。野球は大のG党。
ツイッター:@antelerossi21

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