はじめまして。シェフケンゴといいます。今回から、Qolyさんでコラムを書かせていただくことになりました。
ベルギーサッカーを中心に、世界のサッカーを楽しんでいます。コラムを書かせていただく機会は初めてですが、読者の皆様と一緒に楽しめたらいいなと思っています。よろしくお願いします。
2002年の日韓W杯以来の国際大会に出場することになったベルギー。最近はイングランド・プレミアリーグなどでプレーする選手が増え、2014年W杯では「ダークホース」の呼び声が高くなっており、各メディアの話題で持ちっきりです。
しかし、ここまで至るまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。最近、話題になっていますが、2002年W杯終了後から、今までのベルギー代表を振り返ろうと思います。
・2002年W杯終了後、主力7人が代表引退
2002年W杯に出場したベルギー代表。老将ロベール・ヴァセイジュ監督に率いられたチームは、開催国の日本、ロシア、チュニジアの組を1勝2分の成績でグループリーグを通過。決勝トーナメントではブラジルに敗れるものの、キャプテンのマルク・ウィルモッツを中心とするチームは、ブラジルと互角の戦いを演じました。
しかし、2002年のW杯直前のベルギー代表全23人の平均年齢は28.8歳。このW杯を最後に、ヴィルモッツを始めに、ヨハン・ヴァーレム、ヘルト・フェルヘイエンをはじめW杯登録メンバー23人のうち、7人が代表引退を表明。ヴァセイジュ監督も勇退し、次期監督のエメ・アントゥネス監督は、急速な世代交代を求められます。
9月からのEURO2004の予選。新キャプテンにはW杯でも活躍したバルト・ホールが任命され、ダニエル・ファン・ブイテン、ティミー・シモンス、ヴェズリー・ソンクら新世代が中心選手になるが、初戦のホームでのブルガリア戦を0-2で黒星スタートすると、第4戦目のクロアチア戦では0-4で大敗。当時フェイエノールトでゴールを量産していたトーマス・ブッフェルが台頭し、勝ち点を16に伸ばすものの、得失点差でクロアチアに敗れ、グループリーグ3位で終了し、予選敗退が決定します。
EURO予選終了後、世代交代が遅れていたベルギーに期待の若手が台頭します。2004年2月17日に、現在のベルギー代表のキャプテンを務める、アンデルレヒトのDFヴァンサン・コンパニが、当時17歳314日で代表デビュー。更に4月28日のトルコ戦にはアントニ・ファンデン・ボーレが16歳187日で代表デビュー。
EURO予選は敗退したものの、エメ・アントゥネス監督は続投。しかし、2006年W杯予選は初戦にホームでのリトアニア戦を1-1で引き分けると、第3戦目まで勝利なしと最悪なスタートを切り、最後まで調子が上がること無く3勝3分4敗。グループリーグ4位で終了し、欧州予選敗退が決定。1986年大会から続けていたW杯連続出場記録が途絶え、予選終了後にアントゥネス監督が解任されます。
・北京五輪世代の台頭に反して、どん底に陥る代表チーム
2005年初頭に、当時フィテッセ監督のレネ・ヴァンデレイケン氏がベルギー代表監督に就任。当時PSVでキャプテンを務めていたティミー・シモンスが代表キャプテンに就任。さらに2006年3月のルクセンブルク戦にはDFトーマス・ヴェルマーレン、FWムサ・デンベレ、5月のサウジアラビア戦にはMFスティーヴン・デフール、DFニコラス・ロンバールツが代表デビューを果たし、コンパニ、ファンデン・ボーレに続いて、新世代が台頭します。
しかし、ヴァンデレイケン監督は、EURO2008予選の初戦のカザフスタン戦には、コンパニ、ファン・ブイテン、ヴェルマーレンらを起用した5バックを採用し、スコアレスドロー。過剰な守備重視で消極的な采配により、チームの成績は浮上すること無く、グループリーグを屈辱の5位で終了。欧州予選では、マルアヌ・フェライニ、ヤン・ヴェルトンゲン、ケヴィン・ミララスがデビューし、すぐさまレギュラーに定着するも、代表チームはいいところが無く予選敗退が決定。ホームでの代表戦のチケットは半分も売れず、ベルギーはどん底に沈み、FIFAランキングは歴代最低の71位に低迷。レネ・ヴァンデレイケン監督への批判が殺到します。
低調な代表チームに対して、フランソワ・ドゥ・サール監督率いる、U-21代表は好調。U-21欧州選手権では3位の好成績を収め、2008年の北京五輪の出場権を得ると、本大会では、すでにA代表でデビューを果たしているデンベレ、ミララス、ヴェルトンゲン、ヴェルマーレンらが活躍し、イタリアを破りベスト4。新世代の活躍が目立つベルギーは、2010年W杯に向けて期待が高まります。
2010年W杯欧州予選は、近年の低迷により、ポット4に入れられ、スペイン、トルコ、ボスニア・ヘルツェゴビナと同組。序盤はアウェーでトルコに引き分けるなど、2勝1分で好スタートを切り、第4戦目にEURO2008を制したスペインと対戦。開始7分にウェズリー・ソンクがスペインに710分ぶりの失点を食らわし、試合を優勢に進めるものの、イニエスタとビジャのゴールで逆転負け。11月にリールの新鋭エデン・アザールが17歳で代表デビューを果たし、なんとか食らいつきたいベルギーだったが、2009年3月にボスニア・ヘルツェゴビナに連敗。批判にさらされたヴァンデレイケン監督は解任。アシスタントコーチのフランキー・ヴェルカウテレンが代行監督に就任するも、5月にはスペインに0-5、アルメニアに1-2と連敗。2試合を残し、W杯欧州予選の敗退が決定。ヴェルカウテレン監督代行は、覇気を失った代表チームに失望し、辞意を表明。
・アドフォカートの辞任劇
9月より、W杯予選終了後に就任予定だったディック・アドフォカート監督が、1ヶ月前倒しでベルギー代表監督に就任し、10月には元ベルギー代表キャプテンのマルク・ウィルモッツがアシスタントコーチに就任。2010年3月にはロメル・ルカクが代表デビューを果たします。
EURO2012の本戦出場に向けて、2009年9月のトルコ戦から前倒しで再スタートを切ることになったアドフォカート体制。しかし、アドフォカート監督は、2010年4月に、2012年までのベルギー代表監督の契約を破棄し、ロシア代表監督に就任。ベルギーリーグのコルトライクを率い5位に導いた、ジョルジュ・レーケンス監督が1999年以来のベルギー代表監督に就任するも、チームはまとまりがないまま、EURO2012予選に臨むことになります。
初戦のドイツ戦、第2戦目のトルコ戦を連敗でスタートしたベルギー。オーストリア戦は1勝1分、アゼルバイジャン、カザフスタンに勝利し、第6戦目終了時点で3勝と追い上げるものの、第7戦目にホームで実現した今予選でのライバルと目されていたトルコ戦では、ヴィツェルの痛恨のPK失敗により、手痛いドロー。さらには第8戦目のアウェーでのアゼルバイジャン戦では、決定力不足を露呈。更に主力として期待されたエデン・アザールは、レーケンス監督との確執により、出場機会に恵まれず。1-1のドローで勝ち点を落とし、最終的には4勝3分3敗の3位で予選敗退が決定。EUROは3大会連続で本戦出場を逃します。
・レーケンスの辞任、ヴィルモッツ就任で目覚めたレッドデビルズ
本戦出場を逃すものの、第6戦目のオーストリア戦の勝利後に、ジョルジュ・レーケンス監督との契約を2014年まで延長。しかし、11/12シーズン終了後に、当時のクリストフ・ダウム監督の退任が発表されていたクラブ・ブルッヘが、後釜としてレーケンス監督にオファー。レーケンスは5月15日にベルギー代表監督を辞任し、クラブ・ブルッヘの監督に就任。アドフォカートに続き、代表監督辞任により、再び監督不在に陥ります。
EURO2012開幕直前の5月28日のモンテネグロ戦にて、アシスタントコーチのウィルモッツが、監督代行としてベルギー代表監督デビュー。6月4日のイングランド戦を経て、6日に2年契約でベルギー代表監督に正式に就任。
正式にベルギー代表監督に就任したマルク・ウィルモッツ。2014年W杯欧州予選前の親善試合のオランダ戦で、4-2で勝利。伝統のオランダ戦での勝利で結束を強めたベルギー代表は、W杯予選ではクロアチア、セルビア、スコットランド、ウェールズ、マケドニアと、混戦必至と呼ばれた組で、8勝2分の成績で欧州予選を突破。2002年W杯以来の国際大会出場を果たすことになった。
・ウィルモッツの代表引退に始まり、ウィルモッツの監督就任で終えた「空白の12年」
2002年W杯で、キャプテンのヴィルモッツをはじめ、ベルギーを支えてきた主力選手の多くが去ったベルギー代表。急速な世代交代を求められるも上手く行かず、EURO2004、2006年W杯予選は敗退。北京五輪世代が台頭し、復活を期待されるも、監督人事のゴタゴタなどが要因で、チームがまとまらず、さらに低迷。しかし、選手としてベルギー代表を牽引してきたウィルモッツが監督として先陣を取ったチームは、「空白の12年」を経て、再び国際舞台に戻ってきた。
プレミアリーグで活躍するトッププレーヤーを擁し、来年のW杯でダークホースとして期待されるレッドデビルズ。混沌を極めた「空白の12年」を乗り越えたチームは久々の国際舞台で、世界に何を見せるだろうか。
著者名:シェフケンゴ
プロフィール:ベルギーサッカーを中心に、様々な観点からサッカーを語るのが大好きなサカオタ。主にベルギー代表、ベルギーリーグについて書いていきたいと思います。愛するクラブは、フランスのAJオセール。
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