スペイン語を公用語とするラテン国家のアルゼンチンだが、あの宮﨑駿監督が制作に関わったアニメ「母を訪ねて三千里」でも描かれたようにイタリア系の移民も非常に多く、目の前のボールに対する強い執着心と結果に徹底的に拘るその激しいフットボールのスタイルは、スペインよりイタリアに、南米ではウルグアイ、チリに近いと言える。

そのためディエゴ・マラドーナのような「1人のスーパースター」と、ガブリエル・バティストゥータのような「突出したFW」の決定力に攻撃を依存し、「その他大勢の労働者」の頑張りにより勝利を掴み取るのがこの国の伝統的なスタイルだ。

しかし1994年アメリカ大会途中、マラドーナが薬物の陽性反応により代表から追放されて以降、アルゼンチンは名立たるタレントを抱えながらこのスーパースターの幻影に苦しむこととなる。1998年大会はベスト8、予選を圧倒的な強さで突破し優勝候補筆頭とも言われた2002年大会はグループリーグ敗退。そして母国を3度ワールドユースの優勝に導いた現コロンビア代表監督ホセ・ペケルマンが率いた2006年大会もベスト8に終わった。

この間、数え切れないほどの選手が「マラドーナの再来」と呼ばれながら消えていったが、それらの選手とは明らかに趣を異にする選手が現れる。それがリオネル・メッシだ。2004年にスペイン・バルセロナでデビューしたこの小さなFWはすぐに世界に衝撃を与え、2005年ワールドユース、2008年五輪で優勝。2009年には22歳にしてバロンドールを受賞する。しかし、A代表では思うように活躍できず、2006年大会は若過ぎたがマラドーナ体制の下“世界最高の選手”として臨んだ2010年大会でも無得点に終わり、強い批判を浴びるようになる。

以降のアルゼンチンはメッシを如何に生かすかに奔走。マラドーナの後任セルヒオ・バティスタはバルセロナでのスタイルを模倣したが、チームには当然シャビ、イニエスタのような選手はおらず、自国開催でのコパ・アメリカの失敗により解任。その状況下で就任したのがアレハンドロ・サベーラ現代表監督だった。