「心技体」の一つでも欠けていれば、この大舞台で勝者となることは難しい。11人で挑む以上、組み合わせや掛け合わせを間違えても機能不全を起こしてしまう。ちょっとしたきっかけで大きく崩れ去ることもある。イタリアやスペインですら予選敗退してしまうのだから、日本に起こってもなんら不思議ではない。
【自分たちの値踏みに失敗した日本】
この結果と内容で足りないものを上げればキリがないことは明白であり、あーでもないこーでもないという議論は大いに盛り上がるべきだと思う。その中の一つとして、個人的には「自分たちの値踏み」が出来ていなかったと振り返る。
よく言われるメンタル的な要素を含まないわけではないが、それよりも考え方やフレームワーク的な点に問題があったのではないかと感じられた。戦術や戦略を組み立てる前に根本的なところを見失っていたというところである。
「値踏み」する、すなわち自分たちをどう評価するか見当、見積もるかということに失敗したと言ってもいいだろう。「自分たちのサッカー」という言葉がひとり歩きし始めた時に持った違和感はここにあった。
ポゼッションすることで主導権を握り、自分たちの形を保ち続けるというのはある意味理想である。それを実現して圧倒的なフットボールをここ数年見続けたのは幸運であり不運でもあった。感覚が麻痺していたとも言える。単純に、「自分たちのサッカーを発揮すること」が「相手のサッカーをさせないこと」に繋がらなければ効果的とは言い難い。それはアンチ・フットボールと一部が叩こうともバルセロナが苦しむ時によく見られたものだ。スペインやバルセロナが相手は誰であろうとも自分たちのサッカーを押し通せるだけの強さを見せつけた時とそうでなかった時を見てきたはずなのに、甘い記憶は苦い思い出を奥へと追いやってしまっていた。
【自分たちを見失った自分たちのサッカー】
「自分たちのサッカー」に固執するあまり、相手を見ることができなかった以上に自分たちすら見失っていた。採点競技とは違うのだ。相手に対して自分たちは何ができて何ができないのか。全部上手くやろうとしていないか。これらを直視せずにやりたいことだけやろうとしていないか。スコアが似ているとされたドイツW杯の時と被った印象になったのはこういったところなのだろう。理想だけがひとり歩きしていた。
できないことまでやろうとすればほころびが出るのは必然だ。今大会、「自分たちのサッカー」を気にしすぎるあまり、全てを上手くやろうとしすぎてしまった。ある意味日本人の生真面目さが裏目に出たとも言ってもいいのかもしれない。やりたいことが先行しすぎて、それを実行する人材が足りていないのは明白だった。特に香川に関しては与えられたタスクと本人の能力のミスマッチがこのレベルでは大きく響いている。アジア予選でできていたことも、このレベルと対戦相手になればできないことに変わってしまい、それについていけなかった。もちろん、親善試合でオランダやベルギー、フランス相手にある程度上手くいったこともあった。好調な時はそれくらいやれるポテンシャルはもちろんあるチームと選手たちであることは否定しない。が、中途半端な成功体験が基本を忘れさせてしまったとも言える。コンフェデの失敗すら忘れてしまった。