長いサッカーの歴史の中には“奇跡”と呼ばれるものがいくつかあるが、2005年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝で起きた出来事も、きっとそう呼ばれ続けるに違いない。

2004-05シーズンのUCL決勝リヴァプール対ミランの試合は、リヴァプールが通算5度目となる欧州制覇を成し遂げた。

前半を終えて0-3というある種絶望的な展開から、リヴァプールは僅か6分間で追いつき、PK戦の末に劇的な勝利。その奇跡すぎる展開から、サッカーファンの間では試合が行われた地に因んで“イスタンブールの奇跡”と呼ばれており、10年が経過した今でも語り草となっている。

そんなこの決勝戦で輝かしい活躍を見せたのが、この試合でリヴァプールのゴールマウスを守ったGKイェジー・ドゥデクだ。

安定感には欠けるタイプのドゥデク。このシーズンでもその判断力の鈍さと不安定さで幾多のピンチを招いたが、最後の最後でスーパーなPKストップを連発。緊張感張り詰めた舞台で見せたあのぐにゃぐにゃとした独特のダンスは相手選手を見事に惑わし、リヴァプールのUCL制覇に貢献したと言っても過言ではない。

そんなドゥデクがこのほど、リヴァプール公式HPでインタビューに答えている。 以前Qolyでもお伝えした通り、“イスタンブールの奇跡”を舞台にした映画がまもなく公開されるのだが、そのプロモーションの一環としてドゥデクがあの夜のことについて回想しているのだ。

ドゥデクはこの試合、ミランFWアンドレイ・シェフチェンコのPKをストップし優勝を決めるのだが、シェフチェンコがキックをする際、「これを止めれば勝てる」と気付いていなかったようだ。

イェジー・ドゥデク(元リヴァプールGK)

「自信で溢れていたんだ。正直に言えば、私の人生の中であれほどの自信に包まれたことは一度もなかった。シェフチェンコのシュートをセーブした時、ゲームはあっと言う間に終了した。PKに至るまでもそうだ。

私はGKコーチにオコトレナに、『誰がPKを蹴るか分かったら、左手か右手をあげてくれ』と言った。彼らが普段どんなキックをしてくるか知ることができたからね。

そしたら突然、ジェイミー・キャラガーが私の背中へと飛び乗ってきたんだ。そして私を掴み『あいつらにプレッシャーをかけるために、1984年の決勝戦でブルース・グロベラーが見せたように、相手を敗退させるための何かをしろ』と話してきた。

私は集中した。自分の立ち位置に着いた時、彼らを敗退させてやろうと考えていたんだ。

ボールを蹴るためブラジル人のセルジーニョがまず前方へと向かってきた。そして、ゴールを小さく見せようと私は両手をあげた。彼は私を見て、私は私の動きをした。するとシュートはクロスバーを越え、自分の動きが作用していると思ったんだ。

ヴラディ(ヴラディミール・シュミツェル )がPKを成功させた時、シェフチェンコがPKを失敗したら我々が勝つってことに私は気付いていなかったんだ。私はただ集中し、全てのPKを止めてやろうという欲望があった。

シェフチェンコが歩いてくるのが見えた。そして、その両目には恐怖が宿っていたんだ。私は彼のキックをなんとか防いだ。そして、ジェイミーや他の選手たちが私の方へと走ってくるのが見えた。私はそこで試合が終わったのだと気付いたよ・・・あれは美しい瞬間だった。

みんながみんな私の所へやって来た。キットマンもフィジオもだ。それは素晴らしいことだったよ。1人のヒーローがいたわけじゃない。私たちみんながヒーローだった。3-0のビハインドから追いついたんだからね。PKで勝利したことは特別なものだったよ」

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