マンチェスター・ユナイテッドに所属するFWロビン・ファン・ペルシーが、意外なクラブへの移籍の可能性があったことを認めている。

2012年夏、アーセナルから移籍してきたファン・ペルシー。以前はサイドや二列目でのプレー機会が多かったが、パスサッカーを標榜するアーセナルでストライカーとしての才能が覚醒し、得点を量産する。その得点能力はユナイテッドも落ちてはおらず、オランダ代表の歴代最多得点者にも輝いている。

さて、そんなファン・ペルシーがプロキャリアをスタートさせたのは、オランダの名門フェイエノールトであった。小野伸ニやヨン=ダール・トマソン、ピエール・ファン・ホーイドンクといった名選手とともにプレーしたファン・ペルシーはめきめきと頭角を現し、2001-02シーズンのUEFAカップを制す。その名は徐々に欧州中へと知れ渡り、結局はアーセナルへと移籍するのだが、若きファン・ペルシーには他のクラブに移籍する可能性もあったようだ。

英国『Mail Online』によれば、そのクラブはグラスゴー・レンジャーズだったという。

1998年から2002年にかけてレンジャーズはオランダ人監督ディック・アドフォカートが指揮しており、両者の間には確かに獲得に向けた交渉があったようだ。

ロビン・ファン・ペルシー(マンチェスター・ユナイテッド)

「私は、当時レンジャーズの監督をしていたディック・アドフォカートに話しかけた。彼も私に興味を持っていたし、私もそうだったんだ。移籍する準備はできていたね。

しかし、彼らが私を獲得するには、まず誰かを売却するかそういったことが必要だった。

当時私はまだとても若かった。19歳か20歳だったかな。最終的にはアーセナルへと移籍したよ」

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