シュタンゲの意地

試合直後と比べるとぐっと人が少なくなった観客席の前で、日本の選手達がピッチを一周する中、ライオンズ達は中に入ってきたスタッフも一緒に笑顔で集合。ACLで横浜F・マリノスと対戦したベトナムのクラブが「W杯決勝のスタジアムで試合をした」といって写真を撮った話を聞きましたが、あれは確か前日練習の時の「記念撮影」(違っていたらごめんなさい)、これはアジアのトップレベルを相手に勝ち点1をもぎ取った「栄光の記録」。意味合いが全然違います。

そうして、少し遅れて入ってきたベルント・シュタンゲ監督が英語で切り出したのは、"unexpectable result"と"sensational reach"。まさに「予測できない結果」で「センセーショナルな(素晴らしい)到達」を成し遂げた成果への自己評価でした。

記者会見の全文はスポーツナビで掲載されているので、そちらをご覧下さい。すいませんが、今回も手を抜ける所は抜きます(笑)。

スポーツナビ シュタンゲ監督「選手たちを誇りに思う」
試合後、シンガポール代表監督会見

http://sports.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2015/columndtl/201506160006-spnavi

ただ、文面だけでは伝わりにくい面白さがつまった会見でした。こういうのもテレ朝のネットチャンネルか、無理ならJFA TVで配信すればいいのですが(笑)。

文中の通り、この日の戦い方が魅力的だとは思っていなかったわけです。ただ、現在持っている戦力ではあれが精一杯、チャンスがあればカウンターを仕掛けようと狙ったが、そこまでの力はなかったのを認めていました。実際、吉田と槙野はこれを全く問題なく処理していたので、後からハリルホジッチ監督が言ったように「シンガポールには怖さは無かった」のです。

ただ、それは自分にとっては現状でのベストチョイスで、本当はもっと攻撃的なチームを好み、実際に作る力があるのだというプライドが、このスポーツナビのコラムニスト、宇都宮徹壱からの質問で出てきました。「2004年、イラク代表で0-2と敗れた経験を踏まえて、今回の結果をどう思うか?」と聞かれて、まずは「忘れていた」と答えておきながら、「当時の仕事に誇りを持っている」し、「その後2007年に優勝した当時のイラク代表チームの選手達とは今でも関係を持っている」のです。

とても「忘れていた」人の答えではありませんし、それはイラクを去ったシュタンゲがキプロスリーグのアポロン・リマソールを指揮した時に単独取材をした宇都宮も承知していたでしょう。

宇都宮徹壱公式サイト「徹壱の部屋」2005年11月19日付(原典:エルゴラッソ同日号)
「元イラク代表監督、ベルント・シュタンゲの居場所」

http://tetsumaga.com/tete_room/archives/47

「今はこれだけの選手でも、自分はこれだけの結果を残すチームを作ったのだ」という本音は、東ドイツ時代のシュタージ(国家秘密警察)との関係を取りざたされ、イラクでは無数の暗殺予告のために辞任が避けられなかった、オシムやハリルホジッチとは違った形の修羅場で培った「屈折した意地」だったのでしょう。

それは「大半の選手は欧州の長い長いシーズンの後だったし、チャンピオンズリーグ・マンシャフトもあったし(?)、ブンデスリーガもドイツカップもあったから、疲れていたんだろう」という、何か香川の事しか頭にないのか?というような少しずれた気遣いを前置きした上で「我々を過小評価していたかもしれない」というフレーズにも現れてきます。

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