ついに開幕した2015-16シーズンのプレミアリーグ。

真っ先に行われたマンチェスター・ユナイテッド対トッテナム戦はオウンゴールにより、ユナイテッドが1-0で勝利を収めた。

この試合で、ユナイテッドの新7番として新加入のオランダ代表FWメンフィス・デパイがデビュー。先発から68分ほどプレーした。

チーム自体の調子もそれほどよくなかったが、あまり見せ場をつくれなかったデパイについて、ファン・ハール監督はこう述べていた。

「メンフィスにはあまり入れ込み過ぎてプレーしないよう言った。だが、いつだって同じだ。オールド・トラッフォードで初めてプレーする時にはいつだって難しいものさ」

さて、この試合で気になったのが、現地放送ではデパイのことをメンフィスと呼び続けていたこと。

先日当サイトでも伝えたばかりだが、彼が4歳の時に両親が離婚している。その後、自分を育ててくれた母と祖父へ感謝する一方、出ていった父の姓であるDEPAYではなく、自らの名前であるMEMPHISをユニフォームのネームに入れている

また、7月23日付の『independent』では「(本人は)デパイと呼ばれたくない」とも伝えているので、そのあたりに配慮していたのかもしれない。

さらに、2013年に出版されたファン・ハール監督についての書籍、『O, Louis』においても、このことについて触れられているそうだ。『thebusbybabe』によると、筆者はこのように書いているという。

「(デパイ)からすると、彼の父親はもはや存在していない。それが彼がガーナ(父親)の姓がついたユニフォームでプレーしたくない理由だ。名前はメンフィスであって、デパイではない」

また、デパイとファン・ハールとの関係については、このような記述がされているとのこと。

もうひとりの父親が彼(デパイ)の人生に入ってきた。(当時の)代表監督のルイス・ファン・ハールという形で。メンフィスにとって理想的なシチュエーションだった。ルイスにとっても。彼の抑えていた父らしい愛情の嬉しいはけ口だった。

いつの日か、メンフィスがルイスの指導のもとで再びプレーするようになることを私は願う。彼の血の繋がっていない息子との再会は天の恵みとなるだろう…

実はユナイテッド移籍決定の数日前にはPSG入りがほぼ決まりかけていたというデパイ。ファン・ハール監督との関係性も移籍の理由になったのかもしれない。

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