最初は代表仲間の二人
そして、今回立候補したのが、五十音順で田嶋幸三副会長と原博美専務理事の二人でした。
以下、二人の経歴を比較しました。似た点も多いのですが、その中にある「違い」が今回の会長選に反映されています。
<表1>二人の候補者の経歴
学年では1年下の田嶋ですが、1976年1月の第54回高校サッカー選手権で浦和南高校主将として全国制覇を達成します(これが最後の関西開催、首都圏に移転した翌年の大会でも浦和南が連覇)。卒業後は筑波大に進み、サッカー界の名門だった古河電工に就職します。
一方、高校選手権には出られなかった原の名前が広く知られたのは、早稲田大に入ってからです。1978年の第2回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでは前年優勝の法政大を倒して優勝し、同年11月には日本代表でも初出場しました。
1979年には筑波の最上級生だった田嶋も代表に入り、1980年6月に中国の広州であった国際サッカー大会では渡辺正監督の下で二人が同時先発しました。初戦の香港代表戦では二人ともゴールを決め勝利しています。
JFA公式内 代表タイムライン
「広州国際サッカー大会」1980年6月9日 日本3-1香港(中国・広州)
http://samuraiblue.jp/timeline/19800609/
しかし、ここから二人の歩みは大きく離れていきます。