今回は選挙になったワケ

では、そもそもなぜ会長選挙という話になったのか、という所から見ましょう。

2015年12月15日付の「フットボールチャンネル」で、ここまでの流れが紹介されていました。

JFA新会長はどう決まる? 知られざる選挙の仕組みを解説。現会長意向表明者は原専務理事と田嶋副会長
http://www.footballchannel.jp/2015/12/15/post125908/

以前の大日本蹴球協会、さらに1974年までの日本サッカー協会時代を含め、JFAの会長は基本的に話し合いで決められてきました。1976年、当時は代表監督だった長沼健が主導して会長人事を一新し、自らが専務理事としてサッカー界の改革に着手した「政変」でも、理事会での話し合いにより野津謙会長が退任を了承して円満に体制が移行した「無血クーデター」でした。

私が調べた限り、会長の選任で唯一「投票」が行われたのは2010年、W杯南アフリカ大会の前に起こった犬飼基昭会長の退任時です。浦和レッズの社長から転じてフル代表のW杯出場という結果も残した犬飼は2期目への継続に意欲を見せていましたが、強引とも取れる一連の手法は多くの反発を生んでいました。

そして、評議員会での承認を得るため予め一本化する会長予定者の提案投票では理事25名のほぼ半数が理事としての犬飼信任を拒否し、川淵三郎名誉会長が委員長である「次期役員候補推薦委員会」で犬飼が「体調不良」を理由に会長退任を申し出た、そして小倉純二副会長が昇格……という事になっています。

確かに衝撃的な「事件」でしたが、これも評議員会による正式な投票ではなく、事前調整での出来事でした。会長の選任機関である評議員会で正確に票数を数えた議決ではありません。

「ゲキサカ」2010年7月24日付(文:西山紘平)
「日本協会・犬飼会長が退任、小倉副会長が新会長に昇格へ」

http://web.gekisaka.jp/news/detail/?71610-59991-fl

牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評 2010年7月31日
「犬飼基昭会長退任の真相は?」

http://blog.goo.ne.jp/s-ushiki/e/e21301bb92feb79a38e2493fc4035320
※牛木は元読売新聞編集委員、「ビバ!サッカー研究会」主宰、日本サッカー殿堂顕彰者、東京ヴェルディ設立時の関係者の一人

これに対し、FIFA(国際サッカー連盟)は2013年にJFAの役員選定規約がFIFAの標準規約に準拠していないとしてその改定を求め、会長選任の透明化が迫られました。

大仁邦彌現会長の再任となった2014年の改選では「例外」として従来の理事会一本化推薦を続けたものの、定年の70歳を超えた大仁会長の退任が決まっている今回は、評議員会での選挙を行う事になりました。

日本経済新聞 2014年3月29日付(元は共同通信の配信)
「日本サッカー協会、大仁会長が再任」

http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKG0456_Z20C14A3000000/

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