ジョセフ・ドス
「(スターダムへの道は?)
コーチだったジョー・エリコが師匠だと言いたいね。彼はゴールキーパーとしての夢を叶えてくれた。それが短いものに終わったとはいえね。
ジュリアス・バーガーでレイモンド・キング、エタ・エグベというこの国屈指の経験豊かな選手と戦ったことも、自分のキャリアの中で最も大きなチャレンジだった。
彼らの方が老獪だと知っていたから、私はすこし尻込みしていたんだ。しかし、コーチのジョー・エリコが彼らと戦うための勇気を与えてくれた。最終的に私は成功することが出来たし、1996年11月にはFAカップの優勝に貢献できた」
「(難しかったときは?)
私はいつも人々から『何が起こったんだ?』と聞かれる。そのためにこのメディアを利用したい。混乱させる前に真実を伝えるのは重要なことだ。
何が起こったと言えば、ケニアとのワールドカップ予選をナショナル・スタジアムで戦い、3-0で勝利した後、私は家族の顔を見なければならないと感じたんだ。
イコロドゥ・ロードを午後8時に運転していた。何が起こったのか、私もよく分からない。説明できるのは、車が道路を離れて、私が深刻な負傷をしたということだけだ。
あのような危機に見舞われた後、私は今日も生きている。神に感謝したい」
「(事故の原因は?)
先ほど言ったように、私は何が起こったのかはまだよく分かっていないんだ。しかし、その原因を推測する多くの記事を見て悲しく思っている。
ジョセフ・ドスは酔っていた?何をしていた?真実を知りたければ、私が運ばれた病院へ行くといい。
私が病院に着いたとき、尋ねられたのは『酔っているかどうか』だった。私を世話した女性を訪ねると良いよ。医師は私を嗅ぎ、何も摂取していないことは判明している。
そして、私は彼らの質問に全て答えた。私は飲んでいない、そしてタバコも吸わないと。事故はあったが、それは自然に起こったものだ」
元ナイジェリア代表「松葉杖のコーチ」が語る、下半身麻痺からのサッカー人生
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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