ジョセフ・ドス
「(1998年ワールドカップに向けたメンバーに入っていたが、事故でそのチャンスが断たれた。どのように感じている?)
うーん。私は6年間ナイジェリアでプレーし、1年間はイタリアでキャリアを送っていた。そして、事故に遭った。
しかし、私にとって重要だったのは、ナイジェリアのリーグでプレーしたこと、そして優勝したことだ。FAカップに勝った。オリンピックに選ばれ、金メダルも獲得した。ネイションズカップとワールドカップの予選も戦った。
私は、サッカーにおいて望んだ全てを達成したんだ。例え本大会でプレーできなかったとしても、神のおかげだ。それだけだよ。私は神に感謝しているんだ」
「(もうサッカーが出来ないという事実を受け入れられた?気持ちを切り替えられたのはいつ?)
それはすぐ分かったよ。事故に遭ったとき、そしてドクターが『君は二度と歩くことは出来ない』と言ったとき、僕は彼に言ったんだ。
『あなたの仕事は何が起こったのかを言うことだよ。そして、神は僕の背中を押してくれるだろう』と。
その時には、私はもうサッカーは出来ないだろうと分かっていた。
良い感じではなかったよ。でも、私は自分に言い聞かせた。どちらにしろいつか引退の日はやってくるもので、それが今やってきただけだと」
「(事故で引退というトラウマを生き延びられたのはなぜ?)
落ち込んだときであっても、床で眠るような真似はしてはいけないんだ。やらなければならないのは、立ち上がることだ。
少ししか友人はいなかったが、知事や大臣が支持してくれた。私は神に感謝していると同時に、彼らが僕に対してやってくれたことの全てに謝意を持っている。
あのとき、私は確かに床にいたと思う。しかし、私は再びゆっくりと立ち上がることが出来た。
それは私の力だけではない。神が自分を強くしてくれた。彼に対して、私は感謝を返していきたい」
元ナイジェリア代表「松葉杖のコーチ」が語る、下半身麻痺からのサッカー人生
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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