『Sky』は「ミランの監督を務めているシニシャ・ミハイロヴィッチは、自身の気性について語った」と報じた。

かつてイタリア・セリエAで屈指のセンターバックとして名を馳せつつ、時に激しい気性を見せることでも知られたミハイロヴィッチ。


2006年からは指導者としてインテル(アシスタント)、ボローニャ、カターニャ、フィオレンティーナ、セルビア代表、サンプドリア、そしてミランを率いてきた。現在では直情的な行動に出ることは少なくなっており、選手時代とはかなり違った雰囲気を見せている。

彼は取材に対して以下のように話し、若い頃の性格についてこう説明した。

シニシャ・ミハイロヴィッチ

「私は常にイタリアへ来たかった。世界で最も美しい国だと思っていた。私はここにいられて本当に幸せであるし、セルビア人と言うよりイタリア人という感覚もある。1992年にここに来てからね」

「私は確かに強烈な個性を持っている。しかし、私が生まれた国は、誰もが生きるためにタフであらなければならない、それ以外の選択肢がない、それでも生き抜かなければならない場所だったんだ。

私はプレッシャーが好きだ。それから離れたことはない。2つの戦争を経験すれば、サッカーの試合など恐れることはなくなるよ。

プレッシャーの中で自分のベストを尽くす。なぜなら、サッカーは私にとって重要だからだ。そして、それはスポーツであり続けているからだ。生き死にには関係ない」

以前、私は人生を引き算のように見ていた。従って、戦う相手が必要だったんだ。今はかつて楽しめなかった経験を感じたいと思っている。

私が6歳だったとき、学校に通い始めた。先生は隣に住んでいて、彼女は私をクラスに入れたくなかったんだ。なぜなら、私はいつも喧嘩をしている男だと考えられていたからね。

実際には、学校では良い子だったよ。しかし、その外では違うときもあった。

母親は怒っていたよ。いつも鼻を壊して、あるいは血を流して帰ってきたからね。しかし、相手が自分よりも強くても、私はパンチを放った。

人々はいつも言っていた。何かをしようとする前に10数えろと。私はそれを全て数えたことはないが、今5~6までは辿り着いている。それが10まで伸びることはないだろうが、しかし人生では常に改善しようと試みていくものだよ」