『Daily Mail』は11日、バイエルン・ミュンヘンのスペイン代表MFティアゴ・アルカンタラのインタビューを掲載した。
ブラジル代表の名選手であるマジーニョの息子として生まれたティアゴ。弟のラフィーニャとともにバルセロナの下部組織で育成され、その後ペップ・グアルディオラ監督の誘いでバイエルン・ミュンヘンへと移籍した。
世の中には「二世」として生まれながらその才能を活かしきれない選手も多い。ティアゴはそれをどう乗り越えてきたのかという質問について以下のように話し、当初からライバルとして見ていたと語った。
ティアゴ・アルカンタラ
(父親はブラジル代表の名選手マジーニョ。子供の頃からロマーリオやベベトとも知り合いだった)
「僕にとっては普通のことだったね。小さな頃から、自分のことをサッカー選手だと思っていた。頭のなかでは彼らもライバルだったね。
『彼らよりもうまくなりたい』と。多くの子供たちは彼らと写真を取りたがっていた。しかし、僕はそうじゃなかった。
彼らがやっていることを見たかった。そして、彼らよりも上手くやりたいと思っていた」
(ロマーリオよりもうまくなった?)
「あんなゴールを決めるのはムリだよ!(笑)彼はあのポジションで最高の選手だ。
父は素晴らしい選手だった。それはピッチ上で見せるものだけじゃなかった。ピッチの外でもね。常に体をケアしていた。
僕にとってはそれが重要だった。彼の練習をよく見ていた。そして、『僕もあれができるはずだ』と自分に言い聞かせていた。
そして、思い描いた全てのことが出来た。これは自分にとっての障壁にはならなかったよ。
もっと重要なのはプロフェッショナルとしての態度という点だ。ワールドカップ勝者としての、普段の振る舞いだ。
友人やチームメイトとね。彼がどれだけ上手くやっていたか。それはとても重要なんだ」
(イタリアで生まれ、ブラジルで育ち、スペインへ移住したね?)
「僕はスペイン人だと思っているよ。友人はスペイン人だし、妻もそうだ。僕は人生の殆どをスペインでプレーしてきたしね」
(弟のラフィーニャとともに、マジーニョの息子というプレッシャーを感じていた?)
「いいや。僕はいつも楽しむためにサッカーをしてきたが、結局その中でも責任を持っていた。今もそうだ。楽しみの中に責任がある。
僕たちは最初『マジーニョの息子たち』だったが、数年後にはラフィーニャとティアゴになったよ」