リシャルリソン
「7歳の時の両親が離婚した。僕は泣き腫らしたね。
僕は母とともに、家具やベッド、タンスとともにトラックに乗った。しかしその直後、僕はトラックから降りた。
兄弟は皆母とともに行ったが、僕は父親とともに残ることになったんだ。
父は一緒にサッカーをしたり、観戦したりする人だった。母や試合に連れて行ってくれることはなかった。
ただ、父は街を離れることになって、僕は母のところに行くことになった。
食べ物は足りなかったね。母は我々兄弟を養うために多くのお金を稼ぐことはできなかった。懸命に働いていたが、何かが欠けていたんだ。
僕はそれぞれ弟と妹2名ずつを抱えていた。ノヴァ・ヴェネシアのストリートでアイスクリームを売ることにしたんだ。
練乳、葡萄、チョコレート味を用意したよ。利益の半分は僕のものになり、貯金していった。
16歳の時にアヴァイー、フルミネンセのトライアルに落ちた。諦めようかとも思ったが、町の人々が僕の才能を評価してくれていて、続けるよう言ってくれた。
その後アメリカMGからのオファーを受けて、家から350マイル離れたクラブに行くことになった。
友人がその12時間のバス旅の旅費を払ってくれた。しかし僕は腹が減っていて、帰りのお金も使ってしまった。一文無しになって、失敗するわけには行かなかったんだ」
「U-20南米選手権でプレーした後、アヤックスから連絡があった。僕は前向きに返事をしたんだ。
しかし、マルコ・シウヴァ監督が僕の可能性を知っていると言ってくれた。そして、プレミアリーグは僕の夢だった。
叔父とともに試合を見ていたし、クリスティアーノ・ロナウドは僕のアイドルだった。ワトフォードからオファーを受けると、2度考える必要はなかったね」
「アイス売り」からプレミアへ…ワトフォードFWリシャルリソンが生い立ちを明かす
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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