━━当時、バーレーンのサッカーについてはどのようなイメージがありました?特定のクラブにスタープレーヤーが集まっているという印象がありますが。

正直、僕は全くイメージがなかったです…。

「時々、日本代表が試合するなー」ぐらいで、多くの方と変わらない知識レベルでした(笑)

バーレーン代表で10番を着けていたサルミーンらが所属する、それこそスター揃いのチームと初めての練習試合で対戦したんですが、「誰がサルミーン?」という感じでしたから(笑)

━━所属したクラブは二部リーグでしたが、一部と二部の力の差は感じましたか?

ほとんど差は感じなかったですね。

バーレーンにはリーグ戦以外にも一部と二部のクラブが参加するカップ戦があるんですが、一つのクラブが飛び抜けているだけで、あとは大きな差はありませんでした。けっこう接戦も多かったですしね。

━━外国籍選手などはどうでしたか?

ブラジル人とかもけっこういたんですが…そもそも、誰が外国籍選手なのか、見た目では全然判断ができなかったんですよね(笑)

アジア枠も中東周辺の選手に使うことがほとんどなので、誰がアジア枠かもわからないという状況でした(笑)

━━言語のストレスなどはなかったのですか?

チームの共通語はアラビア語だったんですが、それを英語に訳してくれるチームメイトがいたので苦になりませんでしたね。

アラビア語もそれなりに覚えたほうが良かったんですけど、字も読めない上に発音がすごく難しいんですよ。

僕が「1、2、3」と数字を言ってみただけでチームメイトに大爆笑されてましたから(笑)

━━そのバーレーンでは半年間プレーしました。

元々、後期シーズンのみの契約だったんです。

そこで結果を残して、良い声が掛かればもう少しバーレーンでプレーを続ける可能性はあったんですが。でも、起用されたポジションがトップ下だったり、シャドーだったりということもあって、なかなか持ち味を出せなかったんです。もちろん、自分の力不足ではありましたが…。

テストマッチではボランチだったんですけどね。チームがトップ下の選手の獲得に失敗した上に、もう一人ボランチを獲得するという流れになり、「この二人のボランチの中でどっちがいけるだろう」と天秤に掛けられ、僕のほうがちょこまかと動けた分、トップ下に選ばれた感じです(笑)

ただ、「やっぱり、自分のポジションで勝負しなきゃダメだな」というのが反省点として残りました。チーム事情によって他のポジションをやらなきゃいけないことは当然あるんですが、自分のプレースタイルは守らなきゃいけないですね。どこでも活躍できることがベストなんですけど。

━━バーレーンで他のチームを探すということはなかったんでしょうか?

そこまではなかったですね。「あればいいかな」という感覚でした。ちょうどその頃、嫁が妊娠していて、バーレーンの生活に苦しさを感じていた部分もあったので。

当時、クラブのオフィスで寝泊まりしていたんですが、向かいの部屋には3人のアフリカ人がいて、別のところには4、5人のバングラデシュ人が一部屋に住んでいるようなところですからね(笑)

自分は運が良くて専用の部屋を与えてもらいましたが、給料も高待遇と言えるものではなく、環境としては決して良いものではありませんでした。

なので、嫁からも「アジアならば中東ではなく東南アジアがいい」と言われていて、「じゃあ、そっち方面で探そうかなぁ」と動きました。