2006年にAFCに加盟して以降、日本代表と激闘を繰り広げてきたオーストラリア代表。
同国のエースFWだったマーク・ヴィドゥカの暴露発言が話題になっている。彼はリーズなどで活躍したストライカーでリヴァプールをボコボコにしたこのゴールラッシュは伝説だ(以下動画30秒~)。
Mark Viduka 4-3 Liverpool#OnThisDay | @LUFC pic.twitter.com/CXvYlFDIab
— Premier League (@premierleague) November 4, 2019
なんと4ゴールの大暴れ!ひとりでチームを4-3の大逆転勝利に導いている。
そのヴィドゥカは2007年のアジアカップ準々決勝で日本に敗れると代表を引退した。『ESPN』のインタビューでその理由をこう明かした。
マーク・ヴィドゥカ
「あのアジアカップでは代表のことよりも自分自身のことを考えていた人間たちがいた。
なぜか?そういう人間は自分のことを非常に高く評価していて、国のためにプレーすることよりもテレビ放映権や取引のことを考えていたのさ。
それが自分が代表を去った主な理由だった」
「アジアカップでのルーカス・ニールはいい気分じゃなかったと思う。
グラハム・アーノルド監督は私が出場できるかが定かでなかったので、彼にキャプテンを与えたという事実があるからさ。
自分がアジアカップに参戦しても、(アーノルドは)もはや君はキャプテンではないと私に告げる勇気はなかった。
ルーカス・ニールは準備段階から含めてあの大会中はずっと不機嫌だったね。それが他の選手にも影響した。
ルーカスは私のことを秘かに傷つけようとしていたと思う。
彼のプライオリティはキャプテンになることだった。ピッチ内よりもピッチ外での活動によってね。
それが自分の考えだ」
ヴィドゥカの2歳年下だったDFニールは敗れた日本戦でPKを失敗。2013年には大宮アルディージャでプレーした彼はその後に破産している。
2006年のW杯前にフース・ヒディンクからキャプテンを託されたヴィドゥカだが、本人的には自分からやりたがったことは一度もないそう。そのうえで代表引退の決断についてはこうもぶっちゃけた。
マーク・ヴィドゥカ
「(あのタイミングでの代表引退は)後悔していない。
自分が育った世代と新しい世代とはタイプが違っていたし、正直に言えば、新世代の選手たちのことがあまり好きじゃなかったからね。
彼らの多くが興味を持っていたのは、代表でのプレーよりもスポンサーやテレビのほうだった」