プロ入り後は複数ポジションで存在感

大学時代はストライカーとして圧倒的なパフォーマンスを見せた毎熊だが、大学卒業後に入団したJ2のV・ファーレン長崎では新境地を開くことになった。当時手倉森誠監督指揮下の長崎では右サイドバックにコンバートされ、位置を後方へと移した。

大学サッカー界有数のストライカーがサイドバックにコンバートされたトピックは、毎熊の将来を心配する関係者もいたという。だがこのポジション替えでさらに評価を高めた。優れた戦術理解能力で最適なポジショニングを理解し、攻撃時には持ち前の攻撃センスが生かされた。

もともと、総合力が高いストライカーだったため、長崎の攻撃型サイドバックに求められるタスクを水準以上にこなしてみせた。ルーキーシーズンは36試合出場3得点4アシストと、チームの3位入りに貢献。ただコロナ禍のシーズンだったため、J1参入プレーオフは中止となり、J1復帰を惜しくも逃してしまった。

だた翌シーズンも毎熊は飛躍の歩みを止めなかった。リーグ戦38試合に出場し、3得点10アシストと攻撃面で大きな違いを作り出した。クロス精度の向上、前線への侵入の増加も見られ、守備面でもフィジカル負けせずに相手エースを封じるなど光るものを見せた。

チームは4位に入るも、このシーズンもプレーオフが見送りとなった。だがJ1クラブが才能にあふれるサイドバックを見逃すはずもなく、J1のC大阪が毎熊の獲得に成功した。