ロナウジーニョ
10番を背負ったバルセロナで世界の頂点に君臨した元ブラジル代表FW。
アトレチコ・ミネイロとケレタロでは49番を着用したのは、1949年生まれの母ミゲリーナさんへの敬意から。
2012年にアトレチコ・ミネイロに加入した際、ロナウジーニョは「これは母の生まれた年。彼女は難しい手術を受けたばかりだけど回復しているよ」と母への思いを話していた(その後、ミゲリーナさんは2021年に死去)。
【関連記事】サッカー史上最も奇妙な「背番号1~11番」を背負った男たち
このほか、デンマーク代表FWニクラス・ベントナーはヴォルフスブルクで謎の背番号3をつけたが、「母が背番号を選んでくれたんだ。母はそれが正しい番号だと思った」というのが理由。
また、家族ではないが、セルヒオ・ラモスは、22歳の若さで亡くなったセビージャ時代の同僚アントニオ・プエルタがスペイン代表でつけた15番をその後もずっと代表で背負い続けた。