菊地直哉
出場した大会:2004年アテネ五輪
その大会での成績:1試合出場0ゴール
清水商業高校から2003年にジュビロ磐田へと加入した菊地直哉。ボランチやセンターバックなど複数のポジションをこなせる天才的な選手として、Jリーグでレギュラーを獲得する前から評価は高かった。
山本昌邦監督によってアテネ五輪のメンバーに選出され、グループステージ第3節のガーナ戦に先発出場した。
その試合では大久保嘉人のゴールで日本が勝利を収めたが、チームは1勝2敗という成績でグループステージ敗退を喫している。
その後菊地直哉は未成年者との淫行によって逮捕され、ドイツに渡ってプレーし、さらに日本に戻ってから2010年にはA代表に招集されるなど波乱のサッカー人生を送ることになった。現在はサガン鳥栖のヘッドコーチ。
吉田麻也
出場した大会:2008年北京五輪
その大会での成績:1試合出場0ゴール
日本人男子サッカー選手としてオリンピックの最多3大会出場を果たしている吉田麻也。その最初がこの北京五輪だった。
いわゆる「調子乗り世代」のチームは森重真人や水本裕貴が中心的なディフェンダーであったが、当時19歳の吉田麻也はバックアップの立場で帯同した。
ただチームはグループステージ第1節のアメリカ戦、第2節のナイジェリア戦と連敗。第3節のオランダ戦で吉田麻也が初出場したものの、これも0-1で敗れることになった。
ただ、吉田麻也はこのあとオーバーエイジで参加した2012年大会と2020年大会で決勝トーナメント進出に成功している。
香川真司
出場した大会:2008年北京五輪
その大会での成績:3試合出場0ゴール
吉田麻也と同じく19歳で北京五輪を迎えた香川真司。チームを率いた反町監督は飛び級招集であった彼を初戦からレギュラーで起用した。
しかしながらこの試合で日本は0-1と敗北してしまい、さらに第2節のナイジェリア戦も1-2で落としてしまった。
香川真司は第3節のオランダ戦でベンチスタートとなり、途中出場からチャンスを狙ったものの、得点には至らずノーゴールで大会を去った。