日本人選手のヨーロッパ挑戦は増加の一途を辿っているが、近年はJリーグを経ずにそのまま海を渡るケースも多い。

先日にはオランダ1部のNECナイメーヘンが、慶應義塾大学ソッカー部に所属するFW塩貝健人を狙っていることが報じられた。

そこで今回は、大学から直接ヨーロッパへ渡った選手たちをみてみよう。

平山相太

筑波大学→ヘラクレス・アルメロ(オランダ)

「大学サッカーからヨーロッパ」という道を選択して最初に話題になったのは平山相太であろう。

国見高校時代に全国サッカー選手権で2年連続得点王に。アネテ五輪に高校生で唯一選出された稀代の“怪物”は、卒業後の進路が注目されていた。

恩師・小嶺忠敏監督の助言もあり、国内外のオファーを断って2004年4月に筑波大学へ。ただ自身2度目の出場となった2005年ワールドユースで周りとの成長の差を痛感し、急遽大学を休学してオランダのヘラクレス・アルメロと契約した。

オランダでは1年目で9得点を記録する活躍をみせた。ただ新監督に代わった2年目の夏に構想外となりそのまま帰国。以降再びヨーロッパでプレーすることはなかった。

現在は現役を退き、仙台大学で監督を務めている。

林彰洋(ベガルタ仙台)

流通経済大学→プリマス・アーガイル(イングランド)

槙野智章、安田理大らと同じ“調子乗り”世代で、2007年ワールドユースで守護神を務めた林彰洋。

流通経済大学付属柏高校では高校ナンバーワンGKとの評価を受け、流通経済大学に進学後の2007年には大学生でありながらイビチャ・オシム監督の日本代表候補に選出された。

190cmを超す日本人離れした体型で期待は大きく、複数のJクラブからオファーを受けた。しかし本人は海外志向が強く、2009年9月にイングランド・チャンピオンシップのプリマス・アーガイルと契約。

プリマスでは出番がなく、当時3部だったベルギーのシャルルロワへ移籍するもケガで出場機会は限られた。2012年には日本に戻って清水エスパルスに加入し、以降移籍を繰り返しながら10年以上に渡ってJリーグの舞台でプレーしている。