現役続行か引退か…妻が涙した家族会議

昨年限りで、磐田のバンディエラとして公式戦336試合に出場した山田さんが引退。その後、山田さんは磐田のCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)に就任し、クラブの内部に入った。小川もその後に続く可能性があったという。

「正直、一人で千葉にいた間は『もう今年でサッカーを辞めよう』と思っていました。僕自身、まだやれるという思いは正直ありながらも、ひと区切りをつけてジュビロのクラブスタッフに回り、チームを支える側になろうかと悩んでいました」

小川と山田さんは特別な関係にある。2023年夏には、同年限りでの引退を検討していた山田さんからの相談を受けた。

本人の葛藤を誰よりも理解していたからこそ、小川は直接的な言葉では引き止めなかったが、「もしもまだやれる可能性を見いだせるのであれば、そこからでも(引退は)遅くないんじゃないですか」と素直な想いを伝えた。

その後、山田さんは2024年まで現役を続行。「一番そばにいた存在だった。最後の1年は覚悟のある、終わりが見えているような1年でしたが、僕はすごく楽しかった」と、磐田は2024年に二人の功労者と別れを告げた。

画像: 昨季限りで現役引退した山田さん(C)Getty Images

昨季限りで現役引退した山田さん(C)Getty Images

二人の立場が逆になった。

今度は小川が現役続行に悩み、山田さんからは「まだできるだろう」と言葉をもらった。

そして家族会議が開かれた。

現役続行か、引退か。あらゆる選択肢を模索していた小川は、自身の現状をありのまま彩花さんに伝えた。

「いくつかのクラブからオファーをいただいて、その中でちゃんと自分のことを細かく分析して評価してくれるところへ行きたいと思っていたところ、山雅が明確なオファーをくれました。

ただ、選択肢が並んだ状況で、どこか別のクラブに行くかもしれないし、客観的に魅力を感じないのであれば引退するかもしれない。もしかしたら山雅以外のクラブに単身で移籍する可能性もあるということを、妻に話しました」

画像2: (写真 松本山雅FC)

(写真 松本山雅FC)

そのとき、妻の彩花さんが泣き出した。小川は困惑したという。

「ジュビロにいた間にも、いろいろなオファーをいただきました。その中で『もしかしたら移籍かな?』なんていう話をしたときもあって、そのとき妻は『いいね、どこのマンションに住もうかな』となるくらい行動力がある方なんです。

だから『簡単に引退と口にしたのが悪かったかな』と思い、妻に泣いた理由を聞いた。そしたら『もう単身は無理!』って。『そっち!?』となりました(笑)。妻からは、サッカーを辞めるとかどうでもいいけど、これ以上の単身赴任は無理と言われました」

第三子を授かったばかりだった小川家。彩花さんは千葉に期限付き移籍した夫を支えようと、習い事や送り迎えを含む家事全般でサポート。

もちろん小川もその苦労を知っていたが、彩花さんは初めての移籍先で奮闘する夫の負担にならないように努めていた。また、彩花さんは三人の子どもたちの世話に追われていた中で時間を作り、月に一度は千葉へ駆け付けていた。

画像3: (写真 松本山雅FC)

(写真 松本山雅FC)

学生時代からともに歩んできた妻の涙が、松本移籍を後押しした。

「本当にいろいろな感謝の気持ちや、千葉時代での申し訳ない思いが重なりました。半年間千葉に行っていて、生まれたばかりの赤ちゃんと会えないこともつらかった。僕はすごく家族が大好きで、家族といる時間が自分のモチベーションやパフォーマンスにもつながると思っている。いま考えると、家族で千葉に行けば良かったです。だからその後、『家族みんなで松本に行こう』と僕は山雅に行くことを決めました」

涙の家族会議の末にたどり着いた、小川家全員で松本に住むという決断。

はじめての移籍や家族と離れた単身生活、試合に出場して活躍できる経験をしていたからこその選択だ。

「千葉での自分のパフォーマンスを客観的に見たときに、まだまだやれるという思いが強かった。もちろん、一つのクラブにこだわることも重要ですが、新たな環境の中でプレーすることも決して悪いことではないと思い、僕は移籍を決めました」

This article is a sponsored article by
''.