小川大貴には忘れられない試合がある。
J2ジュビロ磐田でのラストシーズンとなった2024年に行われた第104回天皇杯2回戦のJ3テゲバジャーロ宮崎戦だ。
なぜ小川はその試合を忘れられないのか。なぜ下部組織時代を含めて約17年間を過ごした愛するクラブを去ったのか。
一時は引退も考えた。それでも今季より完全移籍したJ3松本山雅FCで、家族とともに再び歩み出した。
(取材・文・構成 浅野凜太郎)
磐田での存在意義を見失ったあの試合
サックスブルーに染まった磐田のゴール裏から怒号が飛んだ。ふがいない試合をしたからだ。
「リーグ戦とは違ったメンバーで、試合に向けて1週間の準備をしていく中、決してうまくいきませんでした。ただ、その中で自分が最年長のベテランとして、チームの意欲を高め、慣れないメンバーでどのように戦うかすごく試行錯誤をして臨んだ試合でした。でもいい方向には向かわず、試合にも敗れ、ゴール裏を中心に咤激励をいただくというふがいない試合でした」
10月16日に34歳の誕生日を迎えた小川が唇をかみしめながら振り返った試合とは、昨年に行われた天皇杯2回戦の宮崎戦だ。
磐田の背番号5はホームのヤマハスタジアムでキャプテンマークを巻き、左サイドバックで出場。下位カテゴリーの宮崎に対して主導権を握りたかったが、苦戦を強いられたイレブンは1-2で敗戦した。

磐田で長年プレーした小川(C)Getty Images
試合終了後、小川の頭の中には「いまの自分はジュビロに必要ないのではないか」「このエンブレムを背負う資格はあるのか」と、複雑な思いが駆け巡っていた。
小川は「表現が難しい」と前置きした上で、慎重に言葉をつむいだ。
「それまでの僕は試合に出ていなくても、チームが勝てば素直にうれしかった。自分と同じポジションの選手が得点を決めて活躍して、自分が出られる可能性がどんどん薄くなったとしても、決してその選手やチームに対して、ネガティブな思いは抱きませんでした。それはジュビロへの愛からです。
ジュビロが勝ってくれればそれで良かった。でもその試合をきっかけに、そう思えなくなってしまった。それ以降のリーグ戦でも、チームの勝利に対して純粋な気持ちを持てなくなってしまいました」

磐田サポーター(C)Getty Images
ふがいない試合、貢献できなかった自分、サポーターのリアルな反応。様々な葛藤を胸にゴール裏に頭を下げた。しかし小川の心は晴れず。
磐田の背番号5はこの試合をきっかけに自身の存在意義を疑い始めた。その葛藤は、磐田にキャリアを捧げてきた男にしか分からない。
