両利きの優位性とその原点『特訓部屋』

自他ともに認める両利きであることも甲田が右WBに抜擢される大きな要素。右サイドから左足を使ってボールを隠しながらカットインし、相手DFの間を通すパスを繰り出せる点をミシャ監督も高く評価しているはずだ。

画像: 左利きと間違われるほど、甲田英將は本物の両利きである。(写真提供:名古屋グランパス)

左利きと間違われるほど、甲田英將は本物の両利きである。(写真提供:名古屋グランパス)

日本人選手には右利きで遜色なく左足でもキックができる選手が多いが、ワンタッチコントロールやボールの持ち方、運び方から左利きに見間違われるほど、的確に“後天的な左利き”の優位性を活かせる選手は数少ない。

「よく左利きと間違われます。むしろ、『右足のシュートの方がインパクト弱いんじゃない?』、と言われるぐらいです(笑)。自分ではドリブルやパス、シュート、それぞれでどちらの足が得意とかはないんですけどね。ちなみに手は完全に右利きで、投げたり、箸を使うのも右ですね」

幼少の頃から体が小さかった甲田は、キックをしてもなかなかボールが飛ばず。そんな息子の状況を鑑みた父親が自宅2階に工事現場で使うパイプなどを駆使して「特訓部屋」を設置。そこで毎日のようにドリブルを中心にしたメニューを1時間半以上かけて繰り返し練習した。

「ドリブルがなくなったらサッカーを辞める」と宣言していたほど、磨いたドリブルのテクニックは100種類以上。その中には“ヒデラシコ”なるフェイントもある。

「実はサッカーを始めた頃からチームでの練習とは別にお父さんに教えてもらっていて、その頃から両足で均等に蹴ることを自然とやっていました。左利きのように見えるのは憧れていたメッシ(インテル・マイアミ)や玉田さんを真似するように練習していたからだと思います。

ヒデラシコですか?…なつかしい。100種類以上の中で、プロになった今も使っている“1軍”と呼べるようなものは10種類ぐらいだと思いますけどね(笑)

でも自分の意見を聞いて寄り添って教えてくれたり、練習場まで1時間半かかる道程を車で送り迎えしてくれたお父さんやお母さん、家族には感謝しかないですね」

2年半に渡った武者修行で取り戻した自信

2023年の夏から2年半に渡る育成型期限付き移籍をした経験も、甲田の成長を促したに違いない。それはプロ1年目で左膝外側半月板損傷の重傷を負った彼にとって、失っていた自信を取り戻す旅だったのかもしれない。

2023年6月に当時J2の東京ヴェルディへの加入を決める直前には、FIFA U-20ワールドカップ アルゼンチン2023のメンバーから落選していた。

「今思えば、U-20W杯でメンバー外になったこともあり、焦りもあったのかもしれません。

ただ、自分としてはクラブでなかなか出場機会が掴めず、U20アジアカップ(※2023年大会。ベスト4で終えたU-20日本代表として甲田は4試合に出場)でも良いパフォーマンスが出せなかったことで自信が揺らいでしまっていました。その自信を取り戻すためにも1度外に出て気持ちを入れ替えてやりたいと考えて、レンタル移籍を決断しました」

ヴェルディでの甲田は加入直後から勝負所での攻撃の切り札として活躍し始めたが、8月に右第五中足骨を疲労骨折。16年ぶりのJ1復帰で歓喜に沸くピッチには立てずに、翌年は当時J2の水戸ホーリーホックでプレーすることに。

「まだ自信が取り戻せていない自分を熱心に誘っていただきましたし、水戸はのちに日本代表にも選出されるような選手を多く輩出しています。自分が成長するためにはこのチームだと考えて水戸への移籍を決めました。

監督交代が起きた時は試合に出ている選手として不甲斐なさを感じましたし、『自分は結果で判断される厳しい世界で生きているんだ』と、もっと強い覚悟をもって取り組まなければいけないと改めて考え直すキッカケになりました」

水戸ではピッチ外での活動も多く、新たな気付きもあった。当時の西村卓朗ゼネラルマネージャー(現RB大宮アルディージャ・スポーツダイレクター)発案で選手の価値を作り出すための『MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)』プロジェクトでは何度も面談を重ねた。

「データの面からも自分のどういうところが足りていないのか?をプレー面のオン・ザ・ボールとオフ・ザ・ボール、ピッチ外での活動や準備など、いろんな角度から指摘してもらえるので、すごく良い機会だったと思います。前年からサッカー日記をつけていたこともあって、ピッチ内外で成長を感じることができた時間でした」

ただ、水戸ではJ2リーグ29試合(先発21)に出場したものの、1度もフル出場はできず。武者修行は2025年当時J2・愛媛FCで継続されることになった。

「このタイミングでグランパスへ戻る選択肢もあったのですが、まだまだ成長しないと戻れない想いがあった中、熱心に誘っていただきました。スタイル的にもパスを繋いでいくサッカーの中で自分の特徴を出しやすいと考えて、愛媛FCへの加入を決断しました」

愛媛での甲田は開幕から第12節までは全試合に先発し、2ゴール4アシスト。個人として数字に残る結果を出した。

一方で、チームとしては開幕9戦未勝利。試合内容は良くとも勝ち切れないチームは、前年から続いていた未勝利も「20」まで伸びるなど最下位が定位置となり、年間通して僅か3勝。早々とJ3降格が決まった。

「開幕当初の〔4-4-2〕で右サイドハーフとして出ていた頃はゴールにも絡めていたんですけど、チームとして結果が出ない中でフォーメーションが変わり、自分のポジションもシャドーになりました。そのタイミングで少し怪我もあって自分のプレーが出しにくくなり、結果も出せない悔しさを感じました。

ポジションの変更でそうなってしまうことは改善しないといけないと考えたことは、WBでプレーしている今に生きているのかもしれません」

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