――そこはやはり、「ミシャ」ことミハイロ・ペトロヴィッチ監督の存在がすごく大きかったですか?

大きかったんじゃないかと思います。それぞれの選手に僕自身が直接想いを聞いたわけではないので、各々が自分の進むべき道を選んだのだと思いますけど、たまたまそういうそれぞれの想いが、そういう風な流れになったのかなと。

僕自身はミシャの存在がものすごく大きかったです。ジュニアユースからサンフレッチェ備後というチームに所属させてもらって、中学校の頃からサンフレッチェのエンブレムを背負ってプレーさせてもらいました。

広島に大きく貢献したいという想いはものすごく持っていましたし、運よく広島から離れる時にタイトルというか自分の中で結果を残すことができました。

そういう想いのなかで、ずっと同じ選手とやるのもそうですけど、次のステップに進んで色々な選手とプレーすることによって、自分もさらに成長したいという想いがありました。

何よりやはり、ミシャに育ててもらった…ミシャのサッカーはものすごく楽しいという気持ちが自分の中にあったので、何としてもミシャのサッカーで、あのスタイルでタイトルを一緒に獲りたいなと。

そういう想いが強かったことは今でも覚えています。それが移籍を決断する一つの要因にはなったことは間違いありません。

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