本人も驚くほどの満員で埋め尽くされた教室に中村憲剛本人が入った瞬間拍手に包まれ、一部黄色い声援で「かわいい」といった声も聞こえてきた。それは本人に対してなのか、一緒に来ていたお子さんに対してなのかわからないが、とにかく大歓迎で中村憲剛の講演会は始まった。
その講演会は「一流のコンディショニング」と題されていたがコンディションの話は一切されず、中村憲剛が大学サッカー部時代にコーチ、監督を務めた佐藤健氏とのインタビューのような形式で話は進んだ。
まず、話は彼が大学時代の時から始まった。彼はスポーツ推薦で中央大学に入り、サッカー部に入部したが、そこでは自分が底辺だと感じたそうだ。「鳴り物入りで入ったわけでもなく、周りはみんな有名校出身で自分は都立高校出身、そしてそれが示す通り1年生のときはベンチ入りすらできなかった」のである。しかし、今の日本代表MF中村憲剛があるのはここから努力を継続させてからなのであろう。FC東京の高橋秀人なども中村憲剛に対して「向上心がすごい」と尊敬のコメントをしているが、いつ何時も努力する姿勢はこの頃から備わっていたのだ。
そして、その努力が実ったのか2年生でメンバー入り、3年生では10番を背負いチームの主力にまで成長するが、チームはまさかの二部降格の憂き目に遭ってしまう。しかもチームとして52年ぶりの降格ということもあり、そのときチームの主力であった憲剛は大きなショックを受けたと言う。しかし翌年キャプテンに就任した中村憲剛は名実ともにチームの顔となり、二部優勝に大きく貢献し見事1年での昇格を果たす。ここでのエピソードとしては、中央大学は3試合を残し開幕からずっと首位に立っていたのだがそこから流通経済大学に負け、明治大学に引き分け大ブレーキ。「やはり優勝を間近に感じチームが硬くなったのだろう」と佐藤は語る。迎えた最終節、優勝を争う直接のライバルである日本大学戦。そこで憲剛が得点も含む大活躍で快勝して優勝を果たすのだが、本人曰く「後にも先にもあんなに人目をはばからず泣いたことはない」ようだ。
この優勝経験もあり、プロになりたいと強く感じた憲剛は川崎フロンターレに参加し、結果的に入団へと繋がったのである。憲剛は「自分がプロになれるなんて思っていなかった」という言葉を繰り返していたが、それは彼が謙虚であり、自分のことを客観的に見ることができていることを証明する言葉だろう。
プロ入りした中村憲剛は監督に恵まれているなと話しているのを聞いて感じた。プロ入り1年目からJ2の44試合ほとんどをベンチ入りさせて15~20分などほどよく使ってくれた石崎監督、ボランチにコンバートし選手としての幅を広げてくれた関塚監督、憲剛が好きなパスサッカーを標榜として掲げる現在の風間監督や日本代表のオシム監督も「自分のサッカー観を変えてくれた」と感謝していた。
3年目にJ1に昇格したときまたレベルの違いを感じたと語る憲剛だったが、先日の代表でのブラジル戦ではさらに大きな差を感じたと話していた。しかし同時に上には上がいるなと楽しかったとも話していた。32歳になる中村憲剛であるが「衰えは感じない」と話し、「キャリアの終盤であるとも感じない」と力強く話してくれた。また、「自分にとって2010年ワールドカップは悔しい大会だったので2014年ワールドカップを目指す」というファンとしては嬉しい発言もあった。質疑応答では海外移籍はどうですかとの質問に対して、「したい」と答えるなど本当に向上心が強いのだなと改めて思わされた。「来年ももっと上手くなりたい」と語り、無尽蔵の向上意欲を示してくれた中村憲剛に今後も注目したい。
※選手表記、チーム表記はQoly.jpのデータベースに準拠しています。
筆者名 | 平松 凌 |
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プロフィール | トッテナム、アーセナル、ユヴェントス、バレンシア、名古屋グランパスなど、好みのチームは数あるが、愛するチームはバイエルン。 |
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