南米開催で相乗効果のアルゼンチン

午年W杯、ドイツの次に成績が良いのはアルゼンチンでした。

3回の決勝進出、うち1回は優勝しています。

<表2> 過去の「午年」W杯でのアルゼンチンの成績

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ドイツが2次リーグで消えた1978年の自国開催大会で、アルゼンチンは当時の軍事政権がかけた過剰な期待に応えて初優勝しました。この大会と、第1回のウルグアイ大会の準優勝は、南米開催の地の利を最大限に生かしたと言って良いでしょう。

ただ、南米開催は今回が5度目ですが、この他の2回ではアルゼンチンは不振です。1950年のブラジル大会は不参加、1962年のチリ大会は1次リーグ敗退でした。こう見ると、やはり「午年」との相性が良い気がしてきます。

そして1990年は、地元のイタリア人観衆からディエゴ・マラドーナに向けられた強烈な敵意を跳ね返して決勝まで進みました。この時のドイツの直接対決を含め、午年の大会ではドイツとアルゼンチンのどちらかが必ず決勝に残っています。

ただし、2002年はグループリーグ敗退。日本で戦った3試合を1勝1分1敗で終えました。馬にありがちなこの辺のムラっ気も、アルゼンチンらしいのかもしれません。

ちなみに、アルゼンチンは世界有数の牧畜国家で、国連食糧農業機関(FAO)の統計データでは2005年の350万頭となっています(農水省の調べでは、日本は2004年度で9万6600頭)。競馬も盛んで、日本でも11月に東京競馬場で開かれる「アルゼンチン共和国杯」(G2)が有名です。これは2013年で50周年、第51回の開催という伝統あるレースです。

「競馬の母国」の貫禄

一方、ドイツの永遠のライバルで、アルゼンチンとはフォ-クランドで本物の戦争をやったイングランドの成績はこの通りです。

<表3> 過去の「午年」W杯でのイングランドの成績

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自国開催だった1966年で唯一の優勝を果たしたのは上記の通り。その後、1990年にも4位になっています。実はイングランドが準決勝に進んだのは全大会でもこの2回だけです。2002年にも大フィーバーとなったデイヴィッド・ベッカムがPKを決めてアルゼンチンに勝ち、結局は準々決勝まで進みました。

アルゼンチン共和国杯がG2なら、ダービーは文句なしの最高峰レース。イギリスは世界中の帝国領地に競馬場を建て続けました。「馬の年」ならば譲れないでしょう。

ちなみに日本語では「蹴球」とも書くサッカーは中国語になると「足球」ですが、「馬球」はポロの事です。ポロの起源はペルシャらしいですが、近代化したのはイギリスでした。でも、ポロのマークの「ラルフ・ローレン」はアメリカのブランドで、車の「ポロ」はドイツのフォルクスワーゲンですが……。ラルフ・ローレンはゴルフやラグビーのウェアは出していますが、サッカーはないようですね。