ドリブラー。

堅牢で組織的な守備相手に果敢に個人で挑みかかり、切り崩すことが出来るフットボールの花形たる役割。

「ドリブラー」と呼ばれる選手は、一般的にサイドでウイングとしてプレーする選手であることが多い。強靭なフィジカルと肉食獣が獲物を集団で食らいつくすようなプレッシング、アリーゴ・サッキが培ったゾーンディフェンスが支配する近代フットボールの中で、ガラス細工のように繊細なトップ下は居場所を失っていった。

イタリア・フットボールを例に出せば、ロベルト・バッジョのような「美しくも感覚的な」選手が生きる場所は徐々に失われ、ジネディーヌ・ジダンのように「フィジカルでも勝負出来る」選手が現れ始めたのだ。

彼の様に得点が取れて、競り合いの強いアスリート的な選手がトップ下を任されるようになっていく中で、攻撃の主役は徐々にサイドへと移っていった。ウイングとしてタッチライン際で「エラシコ」などの超絶技巧を披露し、バルセロナやACミランでスタジアムを沸かせたロナウジーニョは良い例だろう。3トップでのワイドは、テクニシャンの生息地となっていった。

一方、日本でドリブラー、純粋なサイドアタッカーは生まれづらい。フィジカル的な問題や文化的な問題も勿論考えられるが、純粋なドリブラーとして思い浮かぶのは松井大輔くらいだろう。

若き日はタイミングを外すプレーを得意としていた香川真司がドリブルではなく、そのセンスをオフ・ザ・ボールの場面でのエリア侵入で生かすことに光を見出したように、柿谷曜一朗が受け手としての裏への動き出しの精密さを活用する方向にシフトしたように、ドリブラーとしての道をあえて閉ざして選手として新たな方向性を模索していく選手も多い。

一方、ウイングというポジションで海外に渡った多くの若者達は安定した活躍を継続出来ず、苦しんでいる。

本コラムでは、現在イングランド・プレミアリーグの五指に入るといっても過言はない2人のウイングプレイヤーを取り上げながら、彼らと日本人ドリブラーの「思想面」の違いについて考えていきたい。そして、育成的な部分にも議論を広げていこうと思っている。

【次ページ】英国を席巻する2人のドリブラーの思考。