しかし、話はこれで終わらない。スコットランドだけに留まらず、Queen's Park Football Clubの影響は世界中に波及していくことになるのだ。
Queen's Park Football Clubは、「コンビネーション・フットボール」の先駆者と知られ、パスを繋いでいく組織的なフットボールを導入して「キック&ラッシュ」に支配されていたフットボール界に鮮やかな風を吹き込んだ。ある元選手は、そのフットボールを「Pop Art」、つまり「純粋芸術」とまで表現している。
*以下の写真は、グラスゴー中心部にあるKelvin glove 博物館。
多くの画家を生み出した「芸術の街」、グラスゴーで発展した芸術的なフットボールは、イングランドへと普及していった。このチームに薫陶を受けた多くの選手達、指導者たちはイングランドに渡り、英国全体のフットボールを変化させていった。
スコットランドとイングランドが相対した代表戦について、当時の新聞は以下のように表現している。
「イングランドの選手達は明らかに体重面で上回り、スピードにおいてもスコットランドの選手達とは別格だった。しかし、スコットランドのフットボールは『美しく』、『協調的』だったのだ」
では、ここで"Ludere Causa Ludendi"という言葉に戻ろう。
「フットボールをプレーするために、プレーする」。彼らはこのスローガンの下、給料を受け取ってプロフェッショナルとなる事を拒んだ。フットボールを楽しむためだけに、彼らはアマチュアクラブで有り続けることを望んだのだ。
勿論、多くの選手が、その決断によってクラブを離れた。セルティックやレンジャーズ、プロとして多くのクラブが金銭的な後押しを得ることで力をつけていく中、アマチュアの彼らは余りに無力だった。協会からの招待を拒否したことによる、数年間のスコットランド・リーグからの孤立。アマチュア登録の選手達は、シーズン中でもライバルチームから狙われ続けた。
その際に作ったルールが今も残っており、Queen's Park Football Clubの所属選手はアマチュア登録であるが、決まった期間しか移籍交渉することは出来ない。第二次世界大戦の開戦など、様々な要因によって彼らは影響力を失っていった。