元オランダ代表MF、ラファエル・ファン・デル・ファールトがキャリアで最も後悔していることとして、トッテナムを退団した事を挙げた。
今夏、ハンブルガーSVを退団し、レアル・ベティスへの加入を決めたファン・デル・ファールト。アヤックス出身のMFはレアル・マドリーでもプレーした天才肌の選手だが既に32歳。キャリアは晩年に向かいつつあると言える。
トッテナムには2010年の夏、デッドラインデー移籍で加入。チームを牽引する活躍を見せ、プレミアリーグでは13ゴールを記録。チャンピオンズリーグでもインテルやミランなどを破る原動力となり、英国メディアに「最高の補強」と絶賛された。
トッテナムが安住の地になると考えられていた矢先の2012年の8月、ファン・デル・ファールトは突如ホワイト・ハート・レーンを去る。それはトッテナムが移籍ウィンドウ閉鎖目前に多くのMFを補強したことと新監督のアンドレ・ヴィラス=ボアスとの確執が原因だった。
『Mirror』の独占インタビューでファン・デル・ファールトがトッテナム退団について以下のように語っている。
ラファエル・ファン・デル・ファールト
(レアル・ベティス所属、元オランダ代表)
「全てはほんのちょっとしたことだった」
「個人的な事だったが、(名前も思い出したくない)誰かさんがやってきた来た時、『君は私のナンバーワンじゃない』って言ったんだよ。2年プレーしていたので、信じられなかったよ。彼が自分にそういう風に言ったのは本当に奇妙に感じたよ。だから自分は退団がベターだと言ったし、実際にそうなった」
「あれは愚かな決断だったよ。トッテナムを離れたことはキャリアで最も愚かなことだった。自分のフットボール人生の中で最高の2年間だったから、本当に後悔している」
「チームを見渡せば、ベイル、モドリッチ、自分、レノン・・・。信じられないチームだったね。どんな試合でも僕らが優れていたと思っている。ポゼッションも高かったし、互いにとても楽しんでいた」
「そしてハリー(・レドナップ)は父親みたいだった。ああいう人間に全てを捧げたい。彼が退団した時は本当に悲しかった。イングランド代表は彼にとってベストな仕事だったはずだと思っているし、イングランドにとってもそうだったはずだよ」
当時、ファン・デル・ファールトを愛息のように扱ったレドナップはイングランド代表監督に就任する可能性があった。そのため成績を残していたにも関わらずトッテナムの指揮官を辞任するも、結局はロイ・ホジソンが指名され、レドナップは職を失っただけの格好となった。そして、そのレドナップの後任となったのが、チェルシーで失敗したヴィラス=ボアスである。ファン・デル・ファールトが「誰かさん」と名前を呼ぶことすらはばかる程、忌み嫌っているようだ。
もちろん、これはファン・デル・ファールト側の見解である。ヴィラス=ボアス側にも言いたいことは山ほどあるだろう。しかし、こうした感情のもつれが移籍に繋がることがあるというのはフットボール界がお金だけではない所で動いていることを感じさせてくれる。