5日、北里大学の大村智特別栄誉教授がノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ノーベル賞といえば、勉強の世界の話でありサッカー界とあまり関係がないように思える。しかし、ヨーロッパには文武両道の巨人がいたのである。

アインシュタインのライバル

彼の名前はニールス・ボーア(1885~1962)。1922年のノーベル物理学賞を受賞した物理学者である。詳細を述べていくと原稿用紙がいくらあっても足りないため、ここでは簡単に説明をしよう。

「ボーアの原子模型」、「コペンハーゲン解釈」と呼ばれる量子力学の発展に寄与し、アインシュタインとはソルヴェイ会議で何度も論戦を繰り返したライバル関係にある。

アインシュタインとの論戦に勝利し量子力学の正当性を証明したボーアは、後に原子力爆弾の元となる考えである「原子核の液滴模型」を生み出す。

しかし、戦後はヨーロッパ連合原子核研究機関(CERN)の創立に協力するなど、核の共同管理の考えを提言していた。

サッカー選手としては?

そんなニールスだが、若い頃はサッカーをプレーしていた。当時の欧州サッカーはイギリスなどの一部の国を除くとまだプロ化が進んでおらず、彼の故郷であるデンマークもまだ代表チームすらなかった。

ABコペンハーゲンに所属していたニールスはゴールキーパーとして、弟のハラルト・ボーア(数学者)と共に所属していた。

1908年のロンドン五輪の際にデンマーク代表が誕生し、初の国際大会に臨むこととなった。弟ハラルトは右サイドバックとして、兄ニールスは予備登録メンバーとしてデンマーク代表に招集された。

怪我人がでなかったことから入れ替えはなくニールスの出場はなかった。しかし、弟ハラルトはフランスB代表相手にゴールをあげるなど活躍し、チームは決勝まで進んだ。チームは、イギリスの前に涙をのんだものの銀メダルを獲得している。

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