ファン・ハールから薫陶を受け、トータルフットボールの伝統も継いでいるのがロナルト・クーマンだ。

バレンシアではベテランの冷遇などで「嫌われ者」となってしまったものの、フェイエノールトで復活。現在はサウサンプトンでも手腕を発揮し、多くの選手が抜けたチームを立て直したオランダ人指揮官は、プロフィールだけを見ればとんでもないエリートだ。

オランダの名将フース・ヒディンク、そしてトータルフットボールの創始者リヌス・ミケルスと後継者ヨハン・クライフ。オランダが生んだ数多の名指揮官の下でプレイヤーとして活躍した彼は、オランダの知を結集したような存在だろう。

しかし、ファン・ハールとヨハン・クライフが頻繁に対立しているように、真逆のフットボール観を持つ2人からの影響を受けているということが、ポジティブな部分なのかは謎だ。

サウサンプトンでクーマンが実現させようとしているフットボールは、トータルフットボール的というよりもファン・ハールに近い。バランスを重視しながら試合のペースをコントロールするようなスタイルには、ファン・ハールとの共通点も少なくない。

フランク・ライカールトも、オランダの知を磨き上げたような存在の1人だろう。

フース・ヒディンクとヨハン・クライフの2人から強い影響を受けたMFは、指揮官になるための道を用意されたようなものだった。選手時代は度重なるクライフとの衝突もあったものの、トータルフットボールの理論を叩き込まれたことで、バルセロナで指揮官となる上で助けになったのは紛れもない事実だろう。

ヒディンクを直属の師に持ちながら、イタリアではアリーゴ・サッキの下でプレー。アリーゴ・サッキとヨハン・クライフ、フットボール界において「2つのパラダイムシフト」と言われたほどの両指揮官の下でプレーしたのは、彼とファン・バステンくらいのものである。

システムよりも創造性を重視したことや、右腕であったテン・カーテへの依存などは、クライフが指摘した「人間的に控えめ過ぎる」という弱点に起因するものなのだろうか。相反するクライフとサッキの思想を吸収した事により、彼の中で混乱が生まれてしまったのかもしれない。

また、師となったヒディンクが柔軟にチームごとにアプローチを変化させる指揮官であることから、模倣することが簡単ではなかった可能性もある。

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