ヤセル・カシムは3月31日にスウィンドン・タウンの許可をもらってイラクへと飛び、イスカンダリーヤーの現場を訪れた。

死去した少年たちの中には爆発で体の半分を吹き飛ばされた者もおり、その残りは発見されぬまま埋葬されることになったという。ヤセルは彼らの墓に数枚のイラク代表のユニフォームを捧げ、事件現場となったピッチに花束を手向けた。

その後、彼は事件で負傷した2名の少年を訪問。爆風で大きな火傷を負った少年は、下半身を包帯でぐるぐる巻きにしていたという。

ヤセル・カシム

「僕は、『まだサッカーを愛している?』と聞いたんだ。彼は『もう愛してない』と言ったんだよ」

「学生たちがピッチに出てプレーしていた。そこには多くの群衆がいた。注意すべきものだった。

僕はあの事件現場になったスタジアムに入った。子供たちはそこに埋葬されていた。それぞれの写真とともに。

友人が僕を現場に乗せて行ってくれたんだ。そして、僕がドアを開けるやいなや、一人の男がこちらに向かってきたんだよ。

彼はとても感情的になっていた。アラビア語でこう話したんだ。

『私はずっと泣いていた。しかし、今君が来てくれたから、泣き止むことにした。私は息子を亡くした。しかし、君という新しい息子ができた』

僕はかける言葉が見つからなかったよ。これは僕が聞いた最も悲しい出来事だ。

なぜなら、僕もこのような少年の一人だったからだ。ストリートでサッカーをしている。あるいはスタジアムで。危険に晒されながらね。

これは最悪の事件だよ。子供の夢を奪うものだ」

「レアル・マドリーがバルセロナと対戦しているときには、ストリートは閑散としていた。皆それに関心を持っていたからね。

そこにいる人々にとっても、それが多くの意味を持っていたんだ。イスカンダリーヤーを訪問したとき、だから僕はとても謙虚な気持ちになったんだよ。

我々がスタジアムに花を捧げている時でも、そのピッチでサッカーをしている小さな子供たちがいた。それは素晴らしい光景だった。

そこには、サッカーをする喜びがあった。そして、誰にもそれを取り去ることなどできないんだ」

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