答え

45.日本代表の稲本潤一、乾貴士、高原直泰、長谷部誠の4選手がプレーしたブンデスリーガのクラブはどこ?

正解:アイントラハト・フランクフルト

これはスーパーEASYな問題!日本代表経験のある4選手はいずれもフランクフルトでのプレー経験があります。

4人の中で最初にフランクフルトに加入したのは高原。近年の日本人選手のドイツ行きの先駆けといえるのが彼でした。2006年の5月にハンブルガーSVからアイントラハト・フランクフルトに移籍。3年契約で加入しました。アレマニア・アーヘン戦では日本人初のブンデスリーガでのハットトリックを記録。2006-07シーズンは11得点を決め、クラブサポーターの選ぶMVPにも選出されました。翌シーズンは出場機会が減り、2008年の1月に浦和レッズへ移籍しました。

2人目に加入したのは稲本。2007年の5月にトルコのガラタサライから加入しました。高原も所属中であり、日本人コンビが期待されましたが、上述の通り高原は半年後に退団。稲本は2シーズン在籍し、出場機会を求めてレンヌへと移籍。ブンデスリーガで43試合に出場しました。

3人目は乾。2012年の6月に2部のボーフムからの移籍で加入。チームの主軸としてフランクフルトのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得の手助けをしました。3シーズン在籍し、4シーズン目を迎えた昨年の夏、移籍ウィンドウが閉鎖する前に現在所属するエイバルに移籍。念願のスペイン行きを叶えています。フランクフルト時代、ブンデスリーガで75試合に出場し、7ゴールを決めています。

最後は長谷部。2014年の夏に2部に降格したニュルンベルクを退団し、フランクフルトに移籍。乾とチームメイトになり一緒に戦いました。このシーズン、ブンデスリーガ移籍後最多となる33試合に出場しています。今シーズンも出場試合数を伸ばしており、1月のアウクスブルク戦でブンデスリーガ通算200試合出場を達成しています。

フランクフルトと言えば日本から直行便のある都市。ヨーロッパの玄関としても知られており、フランクフルト空港経由で色んな国へ行くことが可能です。その利便性も日本人選手たちが加入する要因の一つかもしれません。

46.ペトル・チェフがキャリアをスタートさせたチェコのクラブはどれ?

正解:ヴィクトリア・プルゼニ

チェフは地元のクラブであるヴィクトリア・プルゼニのユースでキャリアをスタートさせました。

1999年にFKフメル・ブルシャニでプロデビューすると、2001年には名門のスパルタ・プラハへ。UEFAチャンピオンズリーグで活躍し、2002年にレンヌに加わっています。チェフ加入以降のレンヌは毎シーズン1桁順位を記録。躍進のきっかけになり、2004年にチェルシーに移籍しました。その後のキャリアについては御存知の通りです。

そんなチェフの地元のクラブであるヴィクトリア・プルゼニは、近年躍進を遂げているクラブ、。2004-05シーズンに2部3位で昇格を果たすと、徐々に力をつけて2010-11シーズンにシノト・リガ(チェコ1部リーグ)を制覇。2012-13、2014-15と隔シーズンで優勝を果たしています。UEFAチャンピオンズリーグにも出場しており、スパルタ・プラハ、スラヴィア・プラハら名門クラブと争う存在です。

今シーズンは26試合を終えて勝ち点68で首位。残り4試合で2位スパルタ・プラハとの勝ち点は11に開いており、最短で次節優勝が決定します。

47.ボビー・チャールトンが3試合だけ出場したアイルランドのクラブはどこ?

正解:ウォーターフォード・ユナイテッド

マンチェスター・ユナイテッドのレジェンド、ボビー・チャールトン。現役時代の功績から英国王室からナイトの称号を与えられている。

ボビー・チャールトンは1954年にマンチェスター・ユナイテッドに入団。1956年にレギュラーになった。しかし、1958年の2月6日、UEFAチャンピオンズカップのツルヴェナ・ズヴェズダ戦の岐路、飛行機事故に遭遇。『ミュンヘンの悲劇』と呼ばれるこの自己で多くのチームメイトを失った。ボビー・チャールトンも気を失った状態で機外に放り出され、奇跡的に大きな怪我もなく一命を取り留めたが、精神的なショックは大きかったという。

その後、ボビー・チャールトンは代表デビュー。ミュンヘンの悲劇の影響は精神的に大きかったようだが立ち直り、マンチェスター・ユナイテッドの再建に尽くす。1966年の母国開催のワールドカップでは優勝に貢献。バロンドールも受賞している。

1973年にマンチェスター・ユナイテッドを離れ、プレストン・ノースエンドでプレーイング・マネージャーに就任。クラブとイングランド代表でチーム名とだったノビー・スタイルズを選手兼コーチとして招聘している。最初のシーズンで降格を経験。その後再びプレーしたが、1975-76シーズン、ジョン・バードをニューカッスルに放出したことで取締役会と揉めて退団した。そして1976年、ウォーターフォード・ユナイテッドに加入。3試合だけ出場し、1ゴールを奪った。

なお、彼は2012年の春の叙勲にて、在外外国人叙勲者として旭日小綬章を受賞している。

48.カリブの島で初めてワールドカップに出場したのはどこ?

正解:キューバ代表

難しい問題だったかも?カリブの4つの国で最初にワールドカップに出場したのはキューバ代表だ。『Guardian』はハイチ代表を正解しているが、正しくはキューバ代表である。設問の4チームはいずれも1度しかワールドカップに出場したことがない。

キューバ代表がワールドカップに参加したのは、1938年のフランス大会。開催国と前回優勝国が自動的に予選免除された初めての大会であった。この大会の出場チームは16チームであり、グループステージは無くトーナメントのみの方式であった。

キューバ代表はラウンド16でルーマニア代表と対戦。90分で2-2と決着がつかず延長へ。延長でも1点づつ奪い、最後はPKでキューバが勝利した。ベスト8ではスウェーデン代表と激突したが、スウェーデンが8得点の圧勝。キューバは大会から去っている。

なお、このスウェーデン代表は、第2次世界大戦前の大会という特色をふまえた大会参加だった。それは予選を通過したのがオーストリア代表であったが、大会の3ヶ月前にドイツがオーストリアを併合。これにより、スウェーデンが参加することとなっている。

また、オーストリア代表は優勝候補の一つであり、主力がドイツ代表に取り込まれたという。しかし、オーストリア人が先発の過半数にならないようにするという配慮がなされたようだ。なお、ドイツはラウンド16でスイスと対戦するも、PK戦で破れている。

設問中2番目にワールドカップに出場したのはハイチ代表。1974年の西ドイツ大会のことである。

西ドイツ大会では1次リーグでポーランド、アルゼンチン、イタリアと同じグループ4に配された。強豪揃いのグループであり、3戦全敗での敗退だったが、初戦のイタリア戦と3戦目のアルゼンチン戦でゴールを奪っている。イタリアは前回大会の準優勝国だったが、得失点差で3位となり1次リーグ敗退となっている。

続いてはジャマイカ代表だ。御存知の通り、1998年のフランス大会に日本と同じく初出場を果たしている。グループHに入ったジャマイカ代表は初戦のクロアチア代表戦を1-3で落とし、2戦目のアルゼンチン代表戦を0-5で落とす。連敗同士、決勝トーナメントの可能性の無い対決となった日本代表戦では39分と54分にセオドア・ウィットモアがゴールを奪い勝利。日本代表は中山雅史の1点を返すのが精一杯であった。

ジャマイカ代表がワールドカップに出場したのはこの1回だけであることを考えると、現時点で「ワールドカップでジャマイカ代表が勝利した相手は日本代表だけ」、ということになる。なお、日本代表戦でゴールを決めたセオドア・ウィットモアは2009年から2013年までジャマイカ代表監督を務めている。日本も同世代が代表監督を務める時代が来てもおかしくない頃合いだ。

最も直近のワールドカップに出場したのはトリニダード・トバゴ代表だ。2006年のドイツ大会に出場した。

グループBに配されたトリニダード・トバゴ代表はイングランド、スウェーデン、パラグアイと同じ組となる。初戦はスウェーデン代表で0-0の引き分け、2戦目はイングランド代表戦で0-2で敗れた。この日の主審は日本の上川徹さんが務めている。3戦目はパラグアイ代表戦。善戦虚しく0-2で敗れて大会から去っている。

当時の主力はマンチェスター・ユナイテッドでプレー経験のあったドワイト・ヨーク。全盛期ではなかったが、キャプテンとしてチームを牽引した。マンチェスター・ユナイテッド時代のFWでの記憶が強かったこともあり、中盤で必死にプレーするヨークの姿に感銘を覚えた方も多いことだろう。

やっぱり、ワールドカップは素晴らしい。

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